現代アート作品を扱うコマーシャル・ギャラリーには、場所のみ貸し出すレンタル・ギャラリー(貸画廊)、アーティストと契約を結び、マネジメントや作品の展示・販売を行うコマーシャル・ギャラリー(企画画廊/プライマリー・ギャラリー)、およびオークションなどで顧客の求める作品を調達するセカンダリー・ギャラリーがある。
企画画廊のなかでも個人の名を冠すことの多い独立型コマーシャル・ギャラリーは、ギャラリスト独自の観点や関心から新たなアーティストを発掘し、美術関係者やアートファンなどに広く紹介する役割を担う。グローバル化と多文化主義の隆盛を受けて現代アートシーンが大きく変わりゆくとともに、美術市場やギャラリーのあり方も時代と共に変化してきた。清澄白河で自らのギャラリーを構える大柄聡子さんに、その移り変わりやコロナ禍の状況についてお話しを伺った。

ギャラリストへの道のり

大柄さんがギャラリストになるまでの経緯を教えていただけますか?
私はロンドン芸術大学チェルシー校の空間デザインを卒業後、実家のある愛知県豊田市に戻りました。当初は建築関係の職を探していたのですが軒並み不採用で・・見かねた母に誘われて訪れた豊田市美術館で、ロンドンで見た作品たちが日本に居場所をもつ様子に嫉妬心を抱きながらも強く惹かれて、監視員のアルバイトをすることにしたんです。30分ごとに展示室を移動しながら作品をずっと見ていられるし、見回りにきた学芸員さんに作品について質問できるのですごく楽しかった。いまだに監視員が自分の天職だと思っているくらい大好きです(笑)。またいつか監視の仕事がしたいです。
1年半くらい経った頃、個展の下見にくるアーティストの通訳者の代理を急きょ引き受けた後、学芸室付きのアシスタントとして働かせていただくことになりました。1年ほど様々な経験をさせていただき、充実した日々を送っていたのですが、学芸員資格のない私はウェブサイトで求人情報を探すようになり、東京のギャラリーの面接を受けました。2005年に上京して入社し、10年お世話になりました。

修行時代:日本のギャラリーの世界進出

キャラリーの仕事内容は実際いかがでしたか?
美術館は個展や企画展もしますが、主軸はコレクションです。一方ギャラリーは現存作家のマネジメント、プロモーションが主軸なので、作品からアーティストへ基軸が変わりました。
接客や作品の運搬、展示やビス打ち、アーティストとの日々のやり取りやアートフェア対応など様々なことを経験しましたが、マーケットと美術館の間やアーティストとお客さんの間など、いつも誰かの何かの都合に応じて動くことやそのスピード感、優先順位の変化に最初はなかなか慣れませんでした。

2005年から2015年頃は、日本のギャラリーが世界のアートマーケットに出ていく時期でもありましたね。
そうですね。いわゆる第二世代と言われる日本のギャラリーが海外のアートフェアに積極的に出はじめた時期でした。ロンドンにいた時はFriezeなどアートフェアもオーディエンスとして楽しんでいましたけど、見るのと出すのじゃ大違いですね(笑)。

ギャラリーには世代の括りがあるんですね。
第一世代は村松画廊のように初めて現代美術の企画画廊を始めた世代、そこから独立したSCAI the bathhouseや小山登美夫ギャラリー、シュウゴアーツなどが第二世代、私たちはそのジュニアなので第三世代と呼ばれているようです。

第二世代は、アーティストと二人三脚で活動しながら海外のアートマーケットやアートシーンに出ていくという伴走感が特徴とされてきたかと思います。
2000年代半ばからトリエンナーレやビエンナーレが世界各地で増えたので、アーティストが招待されるとギャラリーも出向いて展示のサポートや各所との調整役という業務が増えました。国際展などのオーディエンスが多い機会に参加すると、後からギャラリーに作品について問い合わせが来たりもしますので、その対応もあります。海外のアートフェアは、コレクターだけでなくキュレーターも多く来場します。国際的なアートフェアに非常に高い参加料を払い出展するのも、単に作品を販売するためだけではなく、海外のキュレーターに日本のアーティストを紹介するという理由もあります。とはいえ、すぐに作品販売や展覧会が決まるわけでもありません。活動の場や規模が拡大した背景には、香港・台湾・上海などアジア各地でアートフェアが開かれるようになり、非欧米圏のキュレーターが頭角を表して韓国や中国・シンガポールなどのアーティストを紹介し、顧客層が増えたこともありました。

独立とギャラリーアイデンティティの所在

2016年に独立なさった経緯、アーティストやお客さんとの付き合いや活動内容の変化について教えてください。

独立の理由は複合的なものですが、勤務先の移転が決まり、家庭との両立が難しいと判断したことも一つの契機です。一般的にギャラリーはギャラリストの年齢±10歳のアーティストを主軸に形づくられると言われています。独立して自分のアイデンティティでギャラリーを築き、同世代のアーティストの活動を重点的にサポートしたいと自然に考えるようになりました。
自分の年齢に近いアーティストをリプレゼントすることによって、必然的に顧客も感覚を共有する30〜40代が主軸になりました。自分の判断と責任で何でもできるから、アーティストとの話も早いし、自由になった感じはします。大変なことも多くて自分でも毎回びっくりしていますが(笑)。

私たち第三世代のギャラリー(無人島プロダクション、MISAKO&ROSENほか)は、お客さんとカジュアルにコミュニケーションをとるところが多いです。
海外のアートフェアや展示では、お客さんが「僕がこのアーティストを面白いと思う理由は~」と話しかけてきて、「君はどう思う?」と聞かれて会話のキャッチボールが自然に始まります。たとえ相容れない考え方や見方を持っていても、その違いを作品を通じて楽しんでいるようにも思います。バックグラウンドが違う人たちがそれぞれ様々な見方をするのが美術の面白さのひとつでもあるので、お客さんとの意見交換は常に楽しいです。日本では、ギャラリストが作品の「正しい見方」の正解を持っていると信じて事細かに説明を求めるお客さんが多い気がしますが、私は「情報は持っていますが正解は持っていない。この作品について、アーティストについてどういう風にお考えですか?」と、なるべくお客さんからも思考を引き出して、一緒に作品やアーティストをディスカバーするような見方ができるよう心がけています。そうすると受け身で見ていたときとは違った見方や新たな見解が出てきたり、私自身も自分では思ってもみなかった作品の新たな側面がお客さんを通じて見つかったりして、勉強になります。

installation view at 長谷川繁個展 “pot”, Satoko Oe Contemporary 2021 photo by Kenji Aoki

自分のギャラリーの特徴は私にはまだわかりません。自分がやる必要があると思ったことに正直に、ただがむしゃらに走り続けています。第一世代の村松画廊(2009年閉廊)にふれる展覧会をした時は、周りからは「どうして?!」と驚かれました。ペインターが絵画史を勉強するように、東京でギャラリーを運営している私は日本の画廊史を勉強したい、自分で展覧会を開催すれば何か紐解けるのかもしれない、と思い開催しました。今までマーケットや美術界と距離をとってきたペインターの長谷川繁さんの個展を2019年に開催した際にも驚かれました。
もちろん、自分の世代のアーティストがギャラリーの主軸であることに変わりはないですが、「現代」をその時代の横軸一線で見ていては時に盲目的です。「現代」は過去と未来の縦軸の中の点であり、その経緯を見ることで気づかされることは多いです。自分のギャラリーの名称に「現代(contemporary)」を入れているのも、私たちが生きる「現代」とはなんなのか、何を持って「現代」というのか、「現代美術」とは一体何を指すのか、考える場所にしたいという思いもあります。
ギャラリーは一個人のアイデンティティで成立していて時代性もある。時代が変わればアーティストのラインナップも変わるし、同じアーティストでも携わるギャラリーに応じて異なる文脈が形成されるところも面白いですよね。

コロナ禍における作品との出会い方

コロナ禍になってどのような動きがありましたか?

installation view at Art Collaboration Kyoto, 2021
Courtesy of ACK, 2021 photo by Nobutada Omote

独立後、アートフェア東京やパリのアートフェア ASIA NOW(日仏国交樹立160周年記念の「ジャポニスム2018」の一環で日本の若いギャラリーを招待)、NADA Miamiなどに出展してきましたが、コロナ禍になって参加したNADA Miami 2020(アート・バーゼル・マイアミビーチのサテライト)は、オンラインと並行して、世界各都市のギャラリーでリアルな展示する形式に変わりました。東京ではMISAKO&ROSENを会場に、うち含め6ギャラリーで展覧会をしました。

また、他のギャラリーもそうだと思いますが、うちもメールやSNSなどでの新規の方からの問い合わせがすごく増えました。移動が制限されていても、ギャラリーに要望を伝えてオファーシートを作ってもらえば、PDF画像とはいえ新しい作品に出会えます。うちの場合は、地方在住のコレクターさんが割と高額の作品を現物を見ずに購入するケースが増えてびっくりしました。画像だけでも作品の好みを判断できるくらい買い慣れている方なんだとは思いますが。若いコレクターさんの何人かは、コロナ禍に海外のギャラリーにメールやSNSで問い合わせをして作品を買ったりしていました。

最初の緊急事態宣言でギャラリーを閉めざるをえず途方に暮れていた時は、忙しさにかまけておざなりになっていたリサーチをしようと思い、彫刻が今どうなっているのか、日本の若い彫刻家の現状について調べていて、平田尚也という彫刻家にSNSを通じてコンタクトをとりました。平田さんは大学在学中から何万円もする石や丸太などの材料費が捻出できず、自身の彫刻家としての将来に不安を抱き、youtube動画を参考にしながら独学でヴァーチャル空間内で彫刻を作るようになった人です。つい最近まで実家のマンション住まいで、広大なスタジオや予算がなくても彫刻作品を作り続けられるという発想の転換で生まれる作品が面白いです。彼の連絡先がインスタグラムしかなかったので、面識のない人に震える手でDMを送るという初めての経験をしました(笑)。コロナ禍だからこその出会いでした。

コロナ禍の普段と違う活動として、モバイルアートもやったんです。休廊中、ただギャラリーを閉めていても不安に押しつぶされそうになるので、お付き合いのあるコレクターさん達に手紙を書いて、ご快諾くださった方のところに自家用車に作品を積んで出向きました。新型コロナ感染症がどんな病気かもわからない時だったので、対策として不織布のつなぎを着て、手袋をつけて、可能な限りの消毒をして、2mの長さの糸電話を用意して(笑)。車に積んだ作品をドアを解放した車の中に展示して「どうでしたか?」と糸電話でソーシャルディスタンスを保ちながら話して、実際に作品を購入していただきました。なかには「来なくていいけど作品は買いますよ」とおっしゃってくださった方もいて救われました。

2020年少し状況が落ち着いてきて、ギャラリーを開けられるようになってからはいかがでしたか?
在宅期間中に画像検索で若手や新しい作品を探したり、足をのばせるエリアのギャラリーをしらみ潰しに調べる方が多かったからか、うちだけじゃなくどこのギャラリーにも今まで見かけなかった方が沢山いらっしゃるようになりました。既存のお客様に加え、こうした新しいお客様にも助けられました。同業者含め、コロナ前と比べて売り上げは増えている気がします。海外に行けない分、日本のギャラリーやアーティストをディスカバーする気運が高まった結果だから、渡航再開後の動きはまだわかりませんね。

相互連携で育むアートシーンと独立型ギャラリーの使命

ギャラリー同士、コロナ禍の対策や知恵を出し合うことはありましたか?
第三世代のギャラリーは、コロナ前から横のつながりが強いと思います。ビジネスライクなやり方があまり好きじゃなかったから、独立した私たちはお客さんを紹介しあって情報交換したり、別のギャラリーのアーティストや展示を勧めることもあります。どこも規模が小さいし、一人勝ちしようというメンタリティはないように思います。それはアーティストも同じで、面白いギャラリーやアーティスト同士が繋がって連携プレーをしながら打ち出していく意義を考えています。うちのギャラリーで作品を買ってくれるのはもちろん嬉しいけど、自分が勧めた別のギャラリーの作品を買ってくれるのも嬉しいです。

特定のギャラリストに相談してコレクションを築く上の世代と違って、間口広く情報収集できる環境が連携プレーを可能にしている気がします。
今の若い世代のコレクターさん達は、情報共有して作品体験を通じて共感したいという気持ちが強い。独立型以外にも、企業はじめ様々な運営母体のギャラリーやアートスペースがすごく増えたし、マーケットにのっているアーティストも私が知っているのは氷山の一角に過ぎません。時にコレクターさんたちの方が情報通なので、どういうスペースがあってどんな作品が売れているのかなど色々教えてもらっています。共感できたりできなかったりしますが、知ることは大事だと思います。

ここ数年、サブスクリプション形式でアート作品をレンタルできるサービスや、一つの作品を複数人で共同購入するシステムなど、作品を個人が購入所有する既存の仕組みとは異なるかたちが出てきました。作品所有の仕組みや、作品と暮らすことに対する価値観の変化についてはどのようにお考えですか?
私は基本的に、どんなかたちがあってもいいし、色々なバックグラウンドの方が様々な形で美術と関わったらいいなと思っていますけど、自分はこの方法しか知らないし、信念を持ってこのやり方で美術と関わっています。今も昔も投資目的で作品を買う方は沢山いますし、技術が進んでNFTなどその提供の仕方が変わってきただけだと思います。
私のような独立型コマーシャルギャラリーは、当然マーケットに作品を流通させることが仕事ですが、一方で美術館に作品を納めること、美術史に作品とアーティストを残すことの重要性を自覚しながら仕事をしています。美術の評価ってすごく難しくて、すぐに成果が見えない場合がほとんどなので、マーケットのみを注視して一喜一憂していてはこの仕事は続けられません。
美術館に足を運び展覧会を巡り、展覧会、コレクションの傾向や動向を把握し、美術館とのネットワークを地道に築き、様々な学芸員さんにアーティストや作品の重要性を訴えることも大切な仕事です。こうした活動は大変だし、すぐにはお金や評価に繋がらないですけど、やり続けることが自分たちギャラリーの使命だと思っています。

少し話がずれますが、今はアーティストの皆さんもリプレゼント型のギャラリーと仕事をせずに、プロジェクトベースのギャラリーで発表し、自分で作品を管理しプロモーションをする、という方も多いと思います。そこで私は私のようなリプレゼント型のギャラリーの存在意義をずっと考えているのですが、やっぱり作品やアーティストを第三者として見て、アイデンティティを見出しプロモーションする、ということの重要性を感じています。今はいろんなスペースが増えたので、アーティストの皆さんの発表の選択肢が増え、それ自体は良いことだと思います。作品自体も様々な表情を見せてくれて有意義だと思います。ただ、アイデンティティとは厳密にいうと流動的なものですし、私が私のギャラリーのアイデンティティを自分で見いだすことが困難なように、自らのアイデンティティを自らプロデュースすることの限界はあると思うのです。どんな評価も、他者がするものです。そしてそれは自認しているアイデンティティとは違う、思ってもみない点だったりもします。そこで私たちは、自認しているところとは別の角度でのアイデンティティをも提示できるような、アーティストに一番近い第三者、コレクターに一番近い第三者、学芸員に一番近い第三者、そして作品に一番近い第三者、であり続ける意味がそこにあると信じて活動を続けています。

(2022年2月18日オンラインにて、聞き手:兼松芽永)

大柄聡子
Satoko Oe Contemporary