話し手: 佐藤そのみ
聞き手・テキスト編集: 丹羽朋子
これを記念して、2023年5月21日に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所基幹研究人類学主催〈人類学カフェ〉として開催した、両作品の上映イベント「ある春のための上映会―石巻から震災を描いて」のアフタートークの記録を公開する。
フィクション作品「春をかさねて」について伺った前編に続いて、この後編では、ドキュメンタリー作品「あなたの瞳に話せたら」の制作プロセスが明かされる。
映画「あなたの瞳に話せたら」
なぜ、再び震災を舞台に、ドキュメンタリーを撮ったのか?
ここからは「あなたの瞳に話せたら」について伺います。卒業制作である本作を振り返ったテキストの中で、「映画になるような題材を実体験として持っている私は、はたから見てちょっとずるいのかもしれない」、「自分が当事者であることによりかかっただけの作品にはならないように気をつけたつもりだ」と書かれています。
前作で大川小学校を舞台にフィクション作品を作られて、次は別の場所やテーマも選べたはずなのに、なぜ再び「震災」をテーマとしたのか、そして今度はドキュメンタリーを作ってみようと思われたのですか?
一作目の「春をかさねて」は、2018年に1年間大学を休学して、これで震災のことを描くのは終わりにしたいという想いで撮りました。というのも、大学に入ったときに周りは震災を経験してない子ばかりで、彼らはとても面白いエンタメ作品を撮っていて、私もそうなりたかった。
「自分はずっと震災にとらわれているんじゃないか。しかも、震災を撮ればそれなりに評価されてしまうだろう。そんなの自分の実力じゃない」みたいに感じていて、早く(震災に関する作品を)作って終わらせたいと思っていました。でも、いざ「春をかさねて」を撮り終わって復学し、卒業制作を撮るとなったら、自分の中に「まだ描ききれてない」というモヤモヤが残っていることに気づきました。
「春をかさねて」では自分が当時そこで感じていたことや、子供たちはどうだったのかということに焦点をあてました。
そこには、8年経ってもあのとき起きてしまった出来事を直視できない自分がいたんですよね。妹を亡くしたことも、大好きだった地元の景色が震災後に変わってしまい、人間関係にも亀裂が入ってしまったことも。
これだけたくさんの子供たちが亡くなった中で、子を亡くした親と助かった子の親の間でどこか距離ができてしまったり、先生たちのご遺族は表に出てきづらくなくなったり……あれだけ仲が良くて素敵な地域だった地元は、震災のせいで大きく変わってしまった。
そのショックから逃れるために、(「春をかさねて」は)できるだけ普遍的な物語にしよう、子供だけの話を書こうと思って作りました。でも、それだけじゃ終われないと思うようになって、次は大川小をめぐるいろんな立場、さまざまな要素をごちゃ混ぜだけど入れました、という作品を作りたかった。それには、やはりドキュメンタリーだと考えました。
亡くなった子への「手紙」であること
そのみさんは作品の中で、中学生の時に初めて妹さんに手紙を書いたと話されてます。なぜ、この作品自体を亡き人への「手紙」にしようと思われたのですか?
はじめから、インタビューをつないでいく形にはしたくないと考えていました。そして、亡くなった子たちの顔を思い浮かべてもらえるような作品にしたかった。でも、もう生きていない。だったら生きている私たちがその子に届ける言葉を通して、その子はどういう子だったんだろうと、(観る人に)思い浮かべて欲しいと思い、それだったら「手紙」がいいかな、と。
3人の登場人物の一人、只野哲也さんはパンフレットに寄せた文章の中で、「これは同級生に向けた手紙であると同時に私自身向けた手紙でもある」、「この映画は私にとってタイムカプセルだ」と書かれています。被写体となったお二人(哲也さんと朋佳さん)とどのように協力して作られたのでしょうか?
事前の打ち合わせはほとんどしませんでした。朋佳ちゃんも哲也くんも制作以前から会う機会が多くて、他の人にはいえないような悩みも共有し合っていたので、かねてから同じ立場として寄り添いたいと思っていました。
それでいきなり、こういう映画を作るから手紙を書いて欲しいとお願いをして、文字数も誰に宛てて書くかも自由、その相手に語りかけるような言葉で書いて欲しいとだけ伝えたら、すぐに書いてくれました。彼らの手紙はここが核だなと思ったところを強調するような構成にするくらいの直しは入れましたが、基本的に変えずにそのまま使っています。
その後に、この手紙にはこういう映像がいいなというのを彼らと一緒に撮っていって、手紙の朗読も本人たちが読み方を考えて読んでくれました。細かなコミュニケーションをとらなくても一緒に作れるような関係になっていたと思います。
「手紙」形式だから実現できたことは、哲也くんや朋佳ちゃん、私自身のあのときの気持ちを込めることができたことでしょうか。他方で、「手紙」だからこそ表現できなかったこともあります。
(大川小事故の)裁判のことは直視できていなかったこともあって、描くことができなかった。私自身は今は地元から離れていますが、地元には悲しみや怒りを抱えている方がたくさんいるし、まだまだしっかり向き合わなければならないこともあるけれど、この作品の中では捉えきれなかった。インタビューを使うなりして、もっと切り込むべきところもあったかもしれない。だからこの映画を作り終えたからといって、私の中で震災のことを描くことが終わったわけではないとも思っています。
”伝えたいことと正直に向き合うこと”から始まる編集の試行錯誤
パンフレットには、ご自身が登場人物となるパートについて、「このつらい題材から目を背けたいという潜在意識が影響したのか、気づけばビジュアルや雰囲気ばかりに逃げ、作品は何を伝えたいのかまるでわからないものになっていた。指導教員の先生に、佐藤はかっこつけることばかりにとらわれているという指摘を受けて、それから編集を大幅に変えることになる」と書かれています。具体的にはどう変えたのですか?
当初、自分の手紙の部分は抽象的な言葉と映像になっていました。震災に改めてちゃんと向き合うことに対する恥ずかしさもあったと思います。でも、朋佳ちゃんと哲也くんが書いた素直な手紙を読んで、「自分だけずるいな」と感じて。(卒制指導の)先生から指摘されたこともあり、その後にいろいろなドキュメンタリー映画を観たりもして、「不格好でも伝えたいことに正直に向き合ったものにしよう」と考えるようになりました。
その結果、自分の手紙のパートは抽象的な表現を全て省き、自分がやりたいことというよりも、大川小に関心がある方にも満足してもらえるような映画にするためにはどうしたらいいかを意識して作り直しました。
全体構成も、はじめは哲也君の手紙、朋佳ちゃんの手紙、私の手紙というように、それぞれ切り離された映像を繋げるつもりだったのを、冒頭と最後に私の手紙を置いて彼ら二人の手紙をはさむ構成に変えました。
この映画の中では、亡くなった方や自分と異なる立場や考え方をもつ遺族たちに対する「想像力」が重要なキーワードになっていると思います。自分の「想像力の足りなさ」を赤裸々にさらけ出しながら真摯にそれぞれの人々の震災を表現しようとするそのみさんの姿勢から、観者である私自身もまた、「安易にわかった気になるな」と突き付けられているように感じました。
震災後は、自分が何も想像できてないことに本当に落胆することが多かった。自分のきれいな部分だけじゃなくて、そういう情けない部分も作品に入れたいと思った時、「想像力」って言葉が出てきたんですよね。
当初は、先生方のご遺族や子供が見つかってないお母さんなど、異なる立場にある人々の手紙も入れて作品を作ろうと考えていました。でも、その方々には断られてしまって、自分が全然わかってなかったことを反省しました。私は彼らと異なる立場にあるというのも含めて、震災から8年経った今の状況です。そのことを、私の失敗を正直に言葉にすることによって伝えられるのではないかと考えました。
上映会のおわりに
これまでずっと、「震災遺族」であることから早く逃れて震災に関係のない作品を作りたい、それが自分のために生きることだと思っていました。でも、自分が想像していなかったほどさまざまな場所で自身の震災映画を上映するようになって、自分が違う形へと形づくられていくような気がしています。そのおかげで、やっと自分の足で自分の人生を歩けていると感じられるようになりました。
今も地元ではつらい思いをしている方々がたくさんおられます。私の作品が、少しでもそのような方の助けになればと思っていますし、貴重な経験をもつ者として、今後も上映活動を続けていきたいと考えています。
→「佐藤そのみ監督「春をかさねて」「あなたの瞳に話せたら」を観た大学生の対話」につづく
1996年、宮城県石巻市出身。幼少期に地元で映画を作ることを志す。2011年の東日本大震災で、石巻市立大川小学校に通っていた二歳下の妹を亡くす。日本大学芸術学部映画学科在学中に、石巻市で数本の劇映画やドキュメンタリーを自主制作する。現在は東京都在住。
日本と中国のものづくり文化や、2011年以降は東日本大震災の記録と表現に関心をもち、作り手に学びながら調査研究を行う。記録映像を創造的に活用する展覧会やワークショップ、上映座談会等の企画・制作にも携わる。国際ファッション専門職大学勤務。
*佐藤そのみ監督作品の上映&トークイベント「ある春のための上映会―石巻から震災を描いて」(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所基幹研究人類学主催)は、同研究所の共同利用・共同研究課題「死の人類学再考:変容する現実の人類学的手法による探究」、日本学術振興会科研費基盤B「死の人類学再考:アフェクト/情動論による「現実」への人類学的手法による探究」(代表:西井凉子)の一環で実施しました。