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コロナ禍と協働的なアートのゆくえ

最新号コロナ禍と協働的なアートのゆくえ

画像提供:The Archive of Public Protests, Digital Photo, 2020. Courtesy of Artists.

登 久希子


 2020年の年明けから徐々にくすぶりはじめた「コロナ禍」は春先までにはあっという間に世界中を混乱に陥れ、それぞれの日常的な計画や普段の生活を激変させてしまった。コロナ禍は終わったわけではなく、まだまだ今後を模索していく段階にある。だが、つくり手、鑑賞者、研究者を含めたアートの現場に関わる人たちの、およそ2年における経験をここで一度まとめて聞き、読み、考えてみることは今後の模索のプロセスのためにも重要だと思う。この特集では「協働」や「参加」が重要な意味をもつ作品やプロジェクトと関わりのあるアーティストや関係者が、コロナ禍をいかに生きてきたのか、コロナ禍を経て彼/彼女らの制作や世界の見方がどのように変化しているのか、その一端をインタヴューや寄稿を通して明らかにし、これからのアートをいかに語る/みる(*1)/研究していくのかについて考えていきたい。人やものとの物理的な接触を最小限に抑えることが推奨され、さまざまな実践がオンラインへと移行したなかで、他者との直接的で協働的な関わりを重要視してきたアートに、またそのようなアートとの関わり方に、コロナ禍はどのような影響や変化をもたらしたのだろうか。あるいは変わらなかったことは何なのだろうか。そんな問いに対する考察を深めるためにも、ここで書かれたり語られたりすることは多くの示唆を与えてくれるだろう。 

シンポジウムからオンラインのプラットフォームへ


 はじめに、このウェブサイトができた経緯を少しだけ説明しておきたい。それもコロナ禍と大いに関係のある話だから。人類学でアートの研究を行なってきたわたしは、社会的な課題や問題に着目し、アート的な手法を用いてそれらにアプローチを行う実践についてリサーチしてきた。欧米では「ソーシャル・プラクティス」や「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」と呼ばれるような実践だ。合計3年間の計画で、まとめとして研究者や現場にたずさわる専門家、アーティストを招いたシンポジウムを開催したいと考えていた。シンポジウムは、学術的で専門的すぎるものではなく、より広く分野の垣根をこえて、トピックに関心のある人に来てもらえるような機会にしたかった。しかし残り1年、というときにCOVID-19の感染拡大がはじまり、予定していた現地での調査ができなくなってしまった。とくに人類学にとって現地調査/フィールドワークは不可欠であり、現場での直接的かつ長期的で緊密なやりとりの中から議論を立ち上げていくことが望ましいとされてきた。従来的なスタイルのフィールドワークは、国外への渡航が制限されていたり「三密」の回避が推奨されているような場ではなかなか遂行が難しい。そもそも、わたしが調査していた参加者との協働を前提とする「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」自体、その多くがコロナ禍において行えなくなってしまった。しかし一方では、オンラインを用いた参加型の試みも始まるなど、研究対象の変化と研究方法の変化は同時に進んでいった。
 当初、成果発表と交流の場としてのシンポジウムはオンラインで行うしかないと考えていたが、オンライン上で一度きりの場として終わってしまうのは残念だった。たくさんのセミナーやミーティングなどをオンラインで経験するなかで、その便利さがありがたい一方、経験としてあまりにも平坦なことに物足りなさを感じていたからだ。そこで、せめてより持続的に書いたものを共有したり、アイデアや情報の交換ができる場所をつくれないかと、シンポジウムをオンライン上のプラットフォームにすることに思い至った。それは持続的に可変で、多くの人を巻き込んで、一人では決して成し遂げ得ないような展開を可能にするはずであり、わたしがリサーチしてきたようなアート実践とも、本質的に協働的な学問としての人類学とも共通するあり方だと思う。

コロナ禍におけるそれぞれの経験


 この特集では、日本だけではなく海外のアーティストや専門家にもコロナ禍における経験や状況をインタヴューあるいは寄稿のかたちで語ってもらった。インタヴューの場合は、事前にいくつか質問項目を設けつつ、会話の流れに沿ってオープンなかたちで行われた。寄稿の場合は、大まかなテーマをお伝えして、自分の仕事や研究と関係する話題で書いてもらった。暮らす地域も立場も異なる人たちの声を並べてみると、ソーシャルディスタンスやマスクの着用といった感染防止策に起因するさまざまな経験や見方の共通点が浮かび上がってきたり、COVID-19とは直接的に関係しないかに思える問題が予期せず共通して語られたり、それぞれの語りの一部が他の記事と呼応していたり、個別に書き、話を聞いているはずが一連の対話になっているようにも思えてくる内容になっていた。5つの論考と7つのインタヴュー記事は、読む人によって異なった読まれ方をする。ここでは敢えて大きなまとめは行わないが、いくつかの共通する内容、今後さらに考えてみたいと思ったトピックを挙げてみたい。

オンラインの取り組み

コロナ禍において、Zoom Meetings等の「web会議システム」は仕事の打ち合わせや学校の授業だけでなくアートの分野においても多様に用いられてきた。例えばこの2年ほどのあいだ、従来的なレジデンスに参加していたアーティストもいれば、実地でのレジデンスに代わってオンラインのレジデンスを展開したり、それらを並行して行う団体もあった(「新型コロナウイルスの世界的流行とアーティスト・イン・レジデンス ―アーカスプロジェクトの2年を振り返って」)。とくにアーティストのさまざまなライフスタイルに適応できるという点で、オンラインによるレジデンスがオフラインの代替ではなく、今後も展開していく可能性をもったあり方として語られている点は重要だ。それが、後述の「女性アーティストの困難」に対するひとつのアプローチとして提示されている点も見逃せない(「学び合いの場づくりの広がり―コロナ禍の変化から 堀内奈穂子さん (NPO 法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT エイト]キュレーター)」)。いずれにしろコロナ禍は、物理的な移動を前提とするアーティストインレジデンスとレジデンス的な制作のあり方の再考を促したと言える。
 美術館においては、以前からの懸案事項だったオンラインチケットの導入がコロナ禍で加速されたというメリットも指摘された。また来日できない作家によるオンラインでの遠隔指示によって展示空間づくりがなされるなど、今後のオンライン活用の可能性が示唆された一方で、展示する「ヴィデオの色味」の確認などその限界も指摘されている(「すでにある変化と未来の美術館」)。このように、対面からオンラインへの移行は悪いことばかりではないものの、あらゆる感覚を総動員する実地での経験とは異なる点が後者において強く意識される。オフラインと近い効果をオンラインでもたらすために、さまざまな調整がなされることがある。その一例は、例えばパランセクのオンライン練習会の様子にも明らかだ(「街に出よ──芸能愛好者の語りと地域実践の手ざわり」)。面白い点は、かつての練習会を念頭にオンラインで試行錯誤がなされるなか、各自がスクリーンの前で行った演奏の映像が編集によって重ね合わされることで、「心の中で行っていた合奏」が映像として再現前するという、思いがけない副産物が生じたことだろう。
 さらにコロナ禍では、オフラインを想定しない、そもそもオンラインで行うことを前提とした作品や展覧会等も数多くなされてきた。あるいは郵便や電話といったコミュニケーション手段に再び光が当てられるようなアート実践もあった。オンラインとオフラインが交錯する日常において、どのような偶然や必然が私たちの意識や理解をより豊かなものにしていくのか、ひきつづき体験しながら考えていきたい。

「時間ができた」

ロックダウンや「ステイホーム」等の政策により、コロナ禍以前の仕事や生活のスタイルが変化することで「時間ができた」と語る人はアート関係者に限らず多かったと思う。コロナ禍で「時間ができた」ことは「職がなくなった」状態であったり「濃厚接触者として隔離中」あるいは「療養中」といった状況でもあり得るが、それまで行っていた「無駄なこと」がなくなった結果としてポジティヴにとらえられることも少なくなかった。今回インタヴューを行ったアーティストたちは、その時間を制作に費やし、新たな作品をつくりだしていた。また観光客が激減したことで深刻な打撃を受けたケニアのソープストーン彫刻の現場においては「時間に余裕ができた」ことは「オリジナルの商品づくり」という新たな創造の可能性にもつながっていた(「ケニア西部ソープストーン彫刻の制作地の現在」)。アートにたずさわる人ではなくても、通勤や「つきあい」に費やしていた時間で新しいことをはじめた人は多かったと思う。それはライフスタイル、ひいては既存の社会制度の見直しにも大いにつながってきた。コロナ禍の初期に、混乱の中で語られていた「新しいことが始まるかもしれない」希望や可能性はどのように今後展開していくのだろうか。

メディエーターという役割

ロジャー・サンシは、メディエーターとしてのキュレーターのあり方を人類学者が学ぶべきものとして指摘する(「人類学者ロジャー・サンシにきく―アートと人類学の未来 Roger Sansi Talks about Art and Anthropology」)。ここでインタヴューを行ったキュレーターたちからも、意識的にさまざまな分野にある人同士をつなぎ、調整する役割が彼ら自身の言葉で具体的に語られていた。このような語りからは「メディエーターとしてのキュレーター」というあり方がすっかり定着していることが分かる。例えば1990年代後半からヨーロッパを中心に活動してきたキュレーターのマリア・リンドは、キュレーションを「物理的な場所におけるものやイメージ、プロセスや人間、場所、歴史、ディスコース」をつなぐ方法と見なした https://www.artforum.com/print/200908/the-curatorial-23737。(*2)ビエンナーレやトリエンナーレといった国際美術展の世界的な急増、そしてサイト・スペシフィックで地理的・歴史的コンテクストが重要視されるアート実践の興隆とともに、ここ20余年のあいだにキュレーターのあり方は様変わりした。それがこの先どのように変化していくのかは、アートと呼ばれるもの/こととそれらを取り巻く状況に密接に関わっている。

女性アーティストの状況

女性のアーティストとして作品をつくり続けることの現実的な困難さについては(聞き手が話をふった訳ではなく)インタヴューの中で複数の指摘がなされてきた。とくに女性が被害者の多くを占めるハラスメントについて(「芸術社会学者の吉澤弥生さんにきく―コロナ禍と芸術文化関係者の苦境」)、そしてジェンダー役割に起因する生活と制作の両立の難しさについては、アート関係者に限った話ではないものの、分野特有の問題やコロナ禍特有の問題が含まれているとも言える。今後、アートの現場におけるそのような問題系の広がりをより注視していく必要があるだろう。

ちがった世界を想像する


 最後にイリナ・グレゴリさんによる論文について追記しながら、その時々の社会状況におけるさまざまなアート/表現、そしてそれらについて語ることの可能性について考えてみたい。グレゴリさんも書いている通り(「社会主義政権下における投獄された女性の身体 The corporeality of the women imprisoned under Romania socialist regime」)、彼女には当初コロナ禍における伝統芸能のあり方について寄稿していただく予定だったのだが、3月に入って執筆テーマを変更したいという連絡をいただいた。緊迫していたロシアとウクライナの情勢が重大な局面を迎え、戦禍を避けてウクライナから近隣諸国へと多くの人が退避する様子は日本でも報道されてきた。ルーマニア出身のグレゴリさんが、このような状況で最も必要と思ったことは「東側」の社会主義政権で生きること、表現することがどのような経験だったのか、それを伝えることだった。
 わたし自身1990年代末から2000年代初頭と2010年代に、ルーマニアやブルガリア、ポーランドで留学や仕事をしていたこともあり、世界に「西」と「東」があったこと、東側がどのような世界であったのかは(決してひとまとめに出来ないが)、それらの地域で生活する中から限られた経験としてではあるものの学んできたと思う。社会はある面ではあまりにも早く変化していってしまうので「民主化」された「東側」の歴史や経験が、そこに暮らす若い人たちのあいだでどれくらい共有されているのかは、はっきり言って分からない。個人差も大きいだろう。
 ウクライナが危機的な状況に至るなかで「東側であった歴史や経験」はもっと国際的に、異なる世代に、知られるべきなのではないか、そんなグレゴリさんの切迫感はダイレクトに伝わってきた。そういった意識はポーランドの「女性スト」に関連する展覧会を企画したワルシャワ近代美術館のマグダレナ・リプスカ(「ワルシャワ近代美術館キュレーター マグダレナ・リプスカにきく―人工妊娠中絶禁止に対する抗議運動と展覧会 《涙の歴史を書くのは誰か》」)にも共通する。彼女たちの展覧会は、中絶禁止法を通して女性の身体が管理されてきた歴史をアートを通して語り直すもので、今後法改正が行われた際にまず影響を受けるであろう若い世代に訴えるものだった(*3)。
 リプスカは、コロナ禍において大規模な反対運動を経験したことで最も重要だった点として、世界の異なるあり方を想像し、現実を自分たちで変えることができるという可能性に気づいたことを挙げていた。現実を変えようとして立ち上がった人々による大きな運動は、人類学者のロジャー・サンシが期待するような(「人類学者ロジャー・サンシにきく―アートと人類学の未来 Roger Sansi Talks about Art and Anthropology」)、現状を変えるための集団の可能性にもつながるだろう。戦争のような圧倒的な暴力が起こり得る世界で、そのようなポジティヴな可能性を心の底から信じること、そのために私たちは何をなすことができるだろう。


(*1):「みる」という語には、例えば「脈をみる」「味をみる」「子ども(の面倒)をみる」「痛い目をみる」など、視覚に限らないさまざまな感覚を用いて観察したり判断したり経験したりするという意味もある(デジタル大辞泉)。ここでは、私たちが視覚偏重のアートとの関わりを想定しているわけではないことを留意しておきたい。
(*2)Maria Lind, “On the Curatorial” Artforum (October 2009) https://www.artforum.com/print/200908/the-curatorial-23737
(*3)ちなみにワルシャワ近代美術館では現在、難民支援のためのチャリティオークション「Refugees Wellcome」のプレオークション展
「Refugees Wellcome: Artists for Refugees
が行われている(2022年4月10日〜5月15日)。同美術館とポーランドにおける移民・難民支援を長年続けてきたOkalenie財団との協働で行われる「Refugees Wellcome」は第6回目となる。今回はウクライナにおける戦争行為とベラルーシ・ポーランド間の国境における危機的状況に際して、より拡充したプログラムが組まれている。

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画像提供:The Archive of Public Protests, Digital Photo, 2020. Courtesy of Artists.

登 久希子


 2020年の年明けから徐々にくすぶりはじめた「コロナ禍」は春先までにはあっという間に世界中を混乱に陥れ、それぞれの日常的な計画や普段の生活を激変させてしまった。コロナ禍は終わったわけではなく、まだまだ今後を模索していく段階にある。だが、つくり手、鑑賞者、研究者を含めたアートの現場に関わる人たちの、およそ2年における経験をここで一度まとめて聞き、読み、考えてみることは今後の模索のプロセスのためにも重要だと思う。この特集では「協働」や「参加」が重要な意味をもつ作品やプロジェクトと関わりのあるアーティストや関係者が、コロナ禍をいかに生きてきたのか、コロナ禍を経て彼/彼女らの制作や世界の見方がどのように変化しているのか、その一端をインタヴューや寄稿を通して明らかにし、これからのアートをいかに語る/みる(*1)/研究していくのかについて考えていきたい。人やものとの物理的な接触を最小限に抑えることが推奨され、さまざまな実践がオンラインへと移行したなかで、他者との直接的で協働的な関わりを重要視してきたアートに、またそのようなアートとの関わり方に、コロナ禍はどのような影響や変化をもたらしたのだろうか。あるいは変わらなかったことは何なのだろうか。そんな問いに対する考察を深めるためにも、ここで書かれたり語られたりすることは多くの示唆を与えてくれるだろう。 

シンポジウムからオンラインのプラットフォームへ


 はじめに、このウェブサイトができた経緯を少しだけ説明しておきたい。それもコロナ禍と大いに関係のある話だから。人類学でアートの研究を行なってきたわたしは、社会的な課題や問題に着目し、アート的な手法を用いてそれらにアプローチを行う実践についてリサーチしてきた。欧米では「ソーシャル・プラクティス」や「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」と呼ばれるような実践だ。合計3年間の計画で、まとめとして研究者や現場にたずさわる専門家、アーティストを招いたシンポジウムを開催したいと考えていた。シンポジウムは、学術的で専門的すぎるものではなく、より広く分野の垣根をこえて、トピックに関心のある人に来てもらえるような機会にしたかった。しかし残り1年、というときにCOVID-19の感染拡大がはじまり、予定していた現地での調査ができなくなってしまった。とくに人類学にとって現地調査/フィールドワークは不可欠であり、現場での直接的かつ長期的で緊密なやりとりの中から議論を立ち上げていくことが望ましいとされてきた。従来的なスタイルのフィールドワークは、国外への渡航が制限されていたり「三密」の回避が推奨されているような場ではなかなか遂行が難しい。そもそも、わたしが調査していた参加者との協働を前提とする「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」自体、その多くがコロナ禍において行えなくなってしまった。しかし一方では、オンラインを用いた参加型の試みも始まるなど、研究対象の変化と研究方法の変化は同時に進んでいった。
 当初、成果発表と交流の場としてのシンポジウムはオンラインで行うしかないと考えていたが、オンライン上で一度きりの場として終わってしまうのは残念だった。たくさんのセミナーやミーティングなどをオンラインで経験するなかで、その便利さがありがたい一方、経験としてあまりにも平坦なことに物足りなさを感じていたからだ。そこで、せめてより持続的に書いたものを共有したり、アイデアや情報の交換ができる場所をつくれないかと、シンポジウムをオンライン上のプラットフォームにすることに思い至った。それは持続的に可変で、多くの人を巻き込んで、一人では決して成し遂げ得ないような展開を可能にするはずであり、わたしがリサーチしてきたようなアート実践とも、本質的に協働的な学問としての人類学とも共通するあり方だと思う。

コロナ禍におけるそれぞれの経験


 この特集では、日本だけではなく海外のアーティストや専門家にもコロナ禍における経験や状況をインタヴューあるいは寄稿のかたちで語ってもらった。インタヴューの場合は、事前にいくつか質問項目を設けつつ、会話の流れに沿ってオープンなかたちで行われた。寄稿の場合は、大まかなテーマをお伝えして、自分の仕事や研究と関係する話題で書いてもらった。暮らす地域も立場も異なる人たちの声を並べてみると、ソーシャルディスタンスやマスクの着用といった感染防止策に起因するさまざまな経験や見方の共通点が浮かび上がってきたり、COVID-19とは直接的に関係しないかに思える問題が予期せず共通して語られたり、それぞれの語りの一部が他の記事と呼応していたり、個別に書き、話を聞いているはずが一連の対話になっているようにも思えてくる内容になっていた。5つの論考と7つのインタヴュー記事は、読む人によって異なった読まれ方をする。ここでは敢えて大きなまとめは行わないが、いくつかの共通する内容、今後さらに考えてみたいと思ったトピックを挙げてみたい。

オンラインの取り組み

コロナ禍において、Zoom Meetings等の「web会議システム」は仕事の打ち合わせや学校の授業だけでなくアートの分野においても多様に用いられてきた。例えばこの2年ほどのあいだ、従来的なレジデンスに参加していたアーティストもいれば、実地でのレジデンスに代わってオンラインのレジデンスを展開したり、それらを並行して行う団体もあった(「新型コロナウイルスの世界的流行とアーティスト・イン・レジデンス ―アーカスプロジェクトの2年を振り返って」)。とくにアーティストのさまざまなライフスタイルに適応できるという点で、オンラインによるレジデンスがオフラインの代替ではなく、今後も展開していく可能性をもったあり方として語られている点は重要だ。それが、後述の「女性アーティストの困難」に対するひとつのアプローチとして提示されている点も見逃せない(「学び合いの場づくりの広がり―コロナ禍の変化から 堀内奈穂子さん (NPO 法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT エイト]キュレーター)」)。いずれにしろコロナ禍は、物理的な移動を前提とするアーティストインレジデンスとレジデンス的な制作のあり方の再考を促したと言える。
 美術館においては、以前からの懸案事項だったオンラインチケットの導入がコロナ禍で加速されたというメリットも指摘された。また来日できない作家によるオンラインでの遠隔指示によって展示空間づくりがなされるなど、今後のオンライン活用の可能性が示唆された一方で、展示する「ヴィデオの色味」の確認などその限界も指摘されている(「すでにある変化と未来の美術館」)。このように、対面からオンラインへの移行は悪いことばかりではないものの、あらゆる感覚を総動員する実地での経験とは異なる点が後者において強く意識される。オフラインと近い効果をオンラインでもたらすために、さまざまな調整がなされることがある。その一例は、例えばパランセクのオンライン練習会の様子にも明らかだ(「街に出よ──芸能愛好者の語りと地域実践の手ざわり」)。面白い点は、かつての練習会を念頭にオンラインで試行錯誤がなされるなか、各自がスクリーンの前で行った演奏の映像が編集によって重ね合わされることで、「心の中で行っていた合奏」が映像として再現前するという、思いがけない副産物が生じたことだろう。
 さらにコロナ禍では、オフラインを想定しない、そもそもオンラインで行うことを前提とした作品や展覧会等も数多くなされてきた。あるいは郵便や電話といったコミュニケーション手段に再び光が当てられるようなアート実践もあった。オンラインとオフラインが交錯する日常において、どのような偶然や必然が私たちの意識や理解をより豊かなものにしていくのか、ひきつづき体験しながら考えていきたい。

「時間ができた」

ロックダウンや「ステイホーム」等の政策により、コロナ禍以前の仕事や生活のスタイルが変化することで「時間ができた」と語る人はアート関係者に限らず多かったと思う。コロナ禍で「時間ができた」ことは「職がなくなった」状態であったり「濃厚接触者として隔離中」あるいは「療養中」といった状況でもあり得るが、それまで行っていた「無駄なこと」がなくなった結果としてポジティヴにとらえられることも少なくなかった。今回インタヴューを行ったアーティストたちは、その時間を制作に費やし、新たな作品をつくりだしていた。また観光客が激減したことで深刻な打撃を受けたケニアのソープストーン彫刻の現場においては「時間に余裕ができた」ことは「オリジナルの商品づくり」という新たな創造の可能性にもつながっていた(「ケニア西部ソープストーン彫刻の制作地の現在」)。アートにたずさわる人ではなくても、通勤や「つきあい」に費やしていた時間で新しいことをはじめた人は多かったと思う。それはライフスタイル、ひいては既存の社会制度の見直しにも大いにつながってきた。コロナ禍の初期に、混乱の中で語られていた「新しいことが始まるかもしれない」希望や可能性はどのように今後展開していくのだろうか。

メディエーターという役割

ロジャー・サンシは、メディエーターとしてのキュレーターのあり方を人類学者が学ぶべきものとして指摘する(「人類学者ロジャー・サンシにきく―アートと人類学の未来 Roger Sansi Talks about Art and Anthropology」)。ここでインタヴューを行ったキュレーターたちからも、意識的にさまざまな分野にある人同士をつなぎ、調整する役割が彼ら自身の言葉で具体的に語られていた。このような語りからは「メディエーターとしてのキュレーター」というあり方がすっかり定着していることが分かる。例えば1990年代後半からヨーロッパを中心に活動してきたキュレーターのマリア・リンドは、キュレーションを「物理的な場所におけるものやイメージ、プロセスや人間、場所、歴史、ディスコース」をつなぐ方法と見なした https://www.artforum.com/print/200908/the-curatorial-23737。(*2)ビエンナーレやトリエンナーレといった国際美術展の世界的な急増、そしてサイト・スペシフィックで地理的・歴史的コンテクストが重要視されるアート実践の興隆とともに、ここ20余年のあいだにキュレーターのあり方は様変わりした。それがこの先どのように変化していくのかは、アートと呼ばれるもの/こととそれらを取り巻く状況に密接に関わっている。

女性アーティストの状況

女性のアーティストとして作品をつくり続けることの現実的な困難さについては(聞き手が話をふった訳ではなく)インタヴューの中で複数の指摘がなされてきた。とくに女性が被害者の多くを占めるハラスメントについて(「芸術社会学者の吉澤弥生さんにきく―コロナ禍と芸術文化関係者の苦境」)、そしてジェンダー役割に起因する生活と制作の両立の難しさについては、アート関係者に限った話ではないものの、分野特有の問題やコロナ禍特有の問題が含まれているとも言える。今後、アートの現場におけるそのような問題系の広がりをより注視していく必要があるだろう。

ちがった世界を想像する


 最後にイリナ・グレゴリさんによる論文について追記しながら、その時々の社会状況におけるさまざまなアート/表現、そしてそれらについて語ることの可能性について考えてみたい。グレゴリさんも書いている通り(「社会主義政権下における投獄された女性の身体 The corporeality of the women imprisoned under Romania socialist regime」)、彼女には当初コロナ禍における伝統芸能のあり方について寄稿していただく予定だったのだが、3月に入って執筆テーマを変更したいという連絡をいただいた。緊迫していたロシアとウクライナの情勢が重大な局面を迎え、戦禍を避けてウクライナから近隣諸国へと多くの人が退避する様子は日本でも報道されてきた。ルーマニア出身のグレゴリさんが、このような状況で最も必要と思ったことは「東側」の社会主義政権で生きること、表現することがどのような経験だったのか、それを伝えることだった。
 わたし自身1990年代末から2000年代初頭と2010年代に、ルーマニアやブルガリア、ポーランドで留学や仕事をしていたこともあり、世界に「西」と「東」があったこと、東側がどのような世界であったのかは(決してひとまとめに出来ないが)、それらの地域で生活する中から限られた経験としてではあるものの学んできたと思う。社会はある面ではあまりにも早く変化していってしまうので「民主化」された「東側」の歴史や経験が、そこに暮らす若い人たちのあいだでどれくらい共有されているのかは、はっきり言って分からない。個人差も大きいだろう。
 ウクライナが危機的な状況に至るなかで「東側であった歴史や経験」はもっと国際的に、異なる世代に、知られるべきなのではないか、そんなグレゴリさんの切迫感はダイレクトに伝わってきた。そういった意識はポーランドの「女性スト」に関連する展覧会を企画したワルシャワ近代美術館のマグダレナ・リプスカ(「ワルシャワ近代美術館キュレーター マグダレナ・リプスカにきく―人工妊娠中絶禁止に対する抗議運動と展覧会 《涙の歴史を書くのは誰か》」)にも共通する。彼女たちの展覧会は、中絶禁止法を通して女性の身体が管理されてきた歴史をアートを通して語り直すもので、今後法改正が行われた際にまず影響を受けるであろう若い世代に訴えるものだった(*3)。
 リプスカは、コロナ禍において大規模な反対運動を経験したことで最も重要だった点として、世界の異なるあり方を想像し、現実を自分たちで変えることができるという可能性に気づいたことを挙げていた。現実を変えようとして立ち上がった人々による大きな運動は、人類学者のロジャー・サンシが期待するような(「人類学者ロジャー・サンシにきく―アートと人類学の未来 Roger Sansi Talks about Art and Anthropology」)、現状を変えるための集団の可能性にもつながるだろう。戦争のような圧倒的な暴力が起こり得る世界で、そのようなポジティヴな可能性を心の底から信じること、そのために私たちは何をなすことができるだろう。


(*1):「みる」という語には、例えば「脈をみる」「味をみる」「子ども(の面倒)をみる」「痛い目をみる」など、視覚に限らないさまざまな感覚を用いて観察したり判断したり経験したりするという意味もある(デジタル大辞泉)。ここでは、私たちが視覚偏重のアートとの関わりを想定しているわけではないことを留意しておきたい。
(*2)Maria Lind, “On the Curatorial” Artforum (October 2009) https://www.artforum.com/print/200908/the-curatorial-23737
(*3)ちなみにワルシャワ近代美術館では現在、難民支援のためのチャリティオークション「Refugees Wellcome」のプレオークション展
「Refugees Wellcome: Artists for Refugees
が行われている(2022年4月10日〜5月15日)。同美術館とポーランドにおける移民・難民支援を長年続けてきたOkalenie財団との協働で行われる「Refugees Wellcome」は第6回目となる。今回はウクライナにおける戦争行為とベラルーシ・ポーランド間の国境における危機的状況に際して、より拡充したプログラムが組まれている。

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