東京都立大学大学院/日本学術振興会特別研究員 板久梓織
はじめに
日本でワクチン接種者も増え、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナとする)の感染が一時的に収まった2021年11月、筆者はケニアへ向かった。筆者は2017年から断続的にソープストーンという石の彫刻の制作現場とそこで暮らす人びとの生活について、制作地グシイ地方で調査をしている。ケニアのソープストーン彫刻はカバなどの動物の置物や皿など種類も豊富で、ケニアやアフリカのお土産品として購入される場合が多い。ケニアにおいて観光業は外貨獲得資源として、農業と製造業に次ぐ主要産業である。コロナの拡大防止のために、ケニア政府は旅客便の運行停止(2020年3〜7月)や規制措置の実施などを行ってきたが、その反面で、人の移動や物流が滞ることとなった。結果として、前年より2020年の観光収入は43.9%減少し、外国人来訪者は71.5%減少した(Republic of Kenya, 2021: 207)。規制措置の実施時にはナイロビの観光客向けの土産物マーケットは閉鎖し、また、再開しても売り上げは以前と比べて大幅に低下しているという。需要の大部分が観光市場向けであるソープストーン彫刻産業も、コロナの影響を受けていることが制作地の人とのメッセージのやりとりを通じて窺えた。コロナ禍のソープストーン彫刻産業の現在を調査する必要性に駆られているなか、ケニアや日本の感染状況の変化などの幸運が重なり今回およそ一ヶ月の短期調査が実施できた。本記事ではその時の制作地の様子について報告したい。
なお、ケニアはこれまで感染者数の増減に合わせて、ロックダウンや夜間外出禁止令、集会の禁止などの規制措置を強化したり緩和したりを繰り返している。死亡者数が最も多かったのは2021年8月下旬で、この時期は30名前後に及んでおり、第4波にあたる時期であった。これまで最も新規感染者数が増加したのが第5波に当たる2021年12月下旬で、3,000名以上に上った日もあったが、2021年10月の夜間外出禁止令の解除以降、執筆時現在(2022年3月)に至るまで規制措置は実施されていない。ただし、水際対策措置の継続に加えて、公共の場や人が集まる場所などでのワクチン接種証明書の提示やワクチンの集団接種など、新たな対策1 は講じられている。3月 17日現在、7日間平均の感染者数は17名、平均の死亡者数は0名と減少傾向にある。

ケニアのソープストーン彫刻産業

本題に入る前に、まずはケニアのソープストーン彫刻産業を紹介しよう。そもそもソープストーンとは柔らかいため彫刻しやすく、磨くと滑らかになる特徴を持つ石で、世界各地で採石されている。ケニアで採石できるのは西部にあるグシイ地方に偏っており、ソープストーン彫刻産業は当該地域に暮らすグシイの人びと2 の生活を支える地域産業となっている。ソープストーン彫刻の制作は採石・彫刻・研磨・装飾・艶出しの順で行われ、採石と彫刻、装飾は男性の仕事、研磨と艶出しが女性の仕事というように基本的には分業体制となっている。自分の適性に応じた作業を選べるため、本産業は老若男女問わず地域の人びとにとって貴重な収入源となっている。家族で産業に従事しているケースが多く、例えば祖父が彫刻師、祖母が販売店の店主、父親が彫刻に装飾を施すデコレーター、母親が研磨作業従事者、幼い子供が両親の手伝いをするという家もある。作業従事者の大部分は企業に属さず個人で働いている。
ソープストーン彫刻産業の中心地であり、取引の起点でもあるのがタバカ地区3 である。タバカ地区はキシイ県の中で最も大きい街であるキシイタウンから25キロほど離れた丘陵地帯にあり、ここに販売店が最も集まっている。これらはわずかな企業を別にして個人経営で、卸売を主としている。ソープストーン彫刻は観光地や空港などで目にするケニア土産の代表のひとつと言えるが、タバカ地区を含め制作地は観光地化されておらず、また、アクセスの不便さも相まって観光客が訪れることは稀である。そのため、ケニア国内の都市や観光地での販売や、ケニア国外での販売がソープストーン彫刻の主な市場となっている(図1)。世界各地で売られるソープストーン彫刻の制作地は、現在どのような状況にあるのだろうか。次節ではタバカ地区を中心にコロナ禍の制作地の様子を報告していこう。

図1 ナイロビのマサイマーケットで売られるソープストーン彫刻(2021年11月13日, 筆者撮影)

コロナ禍の制作地の様子

ナイロビからグシイ地方へはおよそ350キロメートル、車で8時間ほどの距離である。ケニア政府は感染症対策としてマスクの着用、ソーシャル・ディスタンス、手指の衛生・消毒を指導しており、ナイロビでは皆マスクを着用し、アルコール消毒液や手洗いタンクなどがホテルや店の出入り口に設置されていた。ナイロビでは至る所に路上販売人がいて、通行人や信号で止まっている車に飲み物や果物、雑貨類を売っているのだが、今回は不織布製マスクが加わっていた。ケニアではマスクは不織布のものを使用している人が多いが、布製のものを身につけている人もいた。マスクの不着用を警察に見つかると2万ケニア・シリングの罰金(およそ2万円4)が発生するため、ナイロビでは皆指導を順守している(規制措置が強化されていた時期には、夜間外出禁止の時間帯で運転しているのが発見された場合、運転免許が停止されるという発表もあった)。しかし、ナイロビからグシイ地方へ車で向かう途中、いくつか町を通過するにつれて次第にマスクをつける人びとは減っていった。翌日、タバカ地区に着くと、マスクをしている人はほとんどいなかった。マスクの有無だけみると、まるでコロナ禍前にタイムスリップしたかのように感じられたほどだ。ただし、安息日の礼拝は教会の外で行われ5、教会の敷地の入り口には手を洗うための給水タンクが置かれるなど、感染症対策を行っている様子も確認できた(図2)。
タバカ地区にある、2つの通りが交差する地点を中心にした半径およそ250メートルがソープストーン彫刻の販売店や作業場が最も集まっている場所である。店や自宅の軒先で作業している人や、ソープストーンを運ぶ人で溢れていたコロナ前と比べて、閉まっている店や作業場もあり、軒先で作業している人も少なく通りは寂しいものとなっていた(図3, 4)。およそ三週間の滞在期間中、閉まったままの作業場もあった。

図2 感染症対策として、野外で礼拝が行われる。後ろの建物が教会。(2021年11月27日, 筆者撮影)

図3 アパートのように並ぶ作業場。それぞれ異なる人が借りている。日中でもドアを閉めると真っ暗になるため、人がいる時はドアは開いている。どの作業場も開かれ賑やかだった前回と比べ、今回は時々作業している様子がみられたものの、閉まっていた時が多かった。(2021年11月26日, 筆者撮影)

図4 店前で研磨作業をする女性たち。図3とは違う場所だが、コロナ前は、店の軒先で作業する人がたくさんいた(2017年9月21日, 筆者撮影)

違う仕事に着手する人びと

店主のレイラさん

タバカ地区で販売店を営むレイラさん(仮名)は副業を始めていた。レイラさんは彫刻師から彫刻を買い、携帯を通じてタバカ地区外の注文客に売っている。彼女の顧客はケニア国内の4、5人である。レイラさんは顧客が具体的にどのような仕事をしているのかは知らないが、おそらく土産物販売店の店主だったり、ナイロビで装飾作業をするデコレーターだったり(基本的に制作地でほとんどの制作プロセスが行われるが、彫刻したものを購入し、制作地の外で装飾以降の作業をする場合もある)、あるいはレイラさんから商品を買い、違う人に売る仲買人だろうという。国外の顧客との取引のほうが商品単価が高く、注文数も多いのだが、現在までのところ、レイラさんには国外の顧客を得るチャンスがない。国内の顧客との取引は少額ではあるもののほぼ毎週、多くて週に2回と継続的な収入が確保できる点が魅力であった。しかしコロナ禍以降、注文は激減してしまった。これまでは週に2回、2〜5人から注文があったのだが、筆者が滞在中、レイラさんに注文の電話がかかってきたのは週に一度、1、2人からのみだったし、全く注文がなかった週もあった。また、注文量も少なく、これまでの半分〜3分の1程度になっていた。レイラさんは今まで常時3〜5名に研磨作業を依頼していたが、自分一人でできる量であるため、人を雇うことはなくなってしまった6。また、研磨の仕事を求めてレイラさんを訪ねる人も時折いたが、仕事がないので断っていた。レイラさん曰く、コロナ禍以降同じような状態が続いているという。レイラさんは注文後の商品の行方を知らないが、注文量の少なさから、在庫が少ないものの補充程度のものだと推察する。ケニアでは5年に一度の大統領選挙があり、政治的緊張が走ることから、その年は比較的注文が減少する傾向にあるが、ここまでの落ち込みはないとレイラさんは話す。
そこで彼女が着手したのがヒヨコを市場で購入して、ある程度育てたら売る養鶏である。この地域では自家消費や販売を目的とした鶏の飼育はごく普通のことである。レイラさんも以前から鶏は所有しており、必要な人には売っていたが、よりビジネスとして収益を図るためにヒヨコから育て始め、飼育数も増やした。前回の訪問時は7、8羽程度だった鶏が今年はヒヨコから鶏まで合わせて60羽以上いた。レイラさんが養鶏ビジネスに着手したのは、末娘の高校の学費を支払うためだった。支払い期日が迫る週末、レイラさんは20羽ほどの鶏を携えてバイクタクシーに乗って市場へ売りに行った。その日の夕方、市場から帰ってきたレイラさんは手ぶらで帰ってきたのに満足げな表情をしていなかった。どうやら学費の支払い期日付近は同じことをする人が多かったらしく、買い叩かれてしまったそうだ。加えて数日後には飼育していた鶏の間で病気が流行り多くの鶏が販売できなくなってしまった。鶏の薬代の捻出に加えて死んだ鶏も多く、レイラさんにとっては散々だった。

デコレーターのペレさん

ペレさん(仮名)は国内のみならずタンザニアやドバイなど国外にも顧客を持つ20代の若きデコレーターだ。デコレーターは、ナイフやペンを使って彫刻に色付けしたり模様を描いたりして装飾を施す仕事である。仕事は順風満帆そのものだったが、コロナ禍以降、注文は全く来なくなってしまった。現在彼は、バイクタクシーの仕事をして日銭を稼いでいる。バイクタクシーは周辺地域内の移動に重宝されている人びとの足であるが、客単価が100ケニア・シリング(およそ100円)未満と低い。仕事を始めるにあたって、貯金と知人からの借金で中古のバイクを購入したという。時折、デコレーター友だちの手伝いをしているが一日100ケニア・シリングという微々たる金額しか得られない。数万ケニア・シリングという単位で取引をしていた以前と比べて収入は激減してしまった。小さい子供2人の学費を稼ぐため、朝五時から通りで客待ちをしているが、今は、小学校の非常勤職員をしている妻の収入に頼っている。

新しいデザイン作りへ

とはいえ、嘆いてばかりいないのがペレさんである。ペレさんは、時折作業場で新しいデザインを考えてサンプルを作り、写真に撮ってFacebookに載せている(図5)。誰かの目に留まって注文が来ることを期待しているのだ。前回までの調査では、仕事が忙しく新しいデザインを考える様子は滅多に見ることがなかった。時間に余裕ができた分、彼はオリジナルの商品作りに挑戦する余裕ができた。筆者は初めての調査時から彼のことを知っているが、そのデザインは今までのものとは異なっており、彼がそのようなアイデアを考え出すことに驚いた。そしてこの行為から彼がデコレーターの仕事を辞めて転職するつもりがなく、状況が回復するのを待っていることがわかった。

図5 ペレさんによる魚の模様の新デザイン(2021年11月30日, 筆者撮影)

おわりに

滞在期間中、(検査をしていないからかもしれないが)身近でコロナに感染したという話を聞くことはなかった。ワクチンを接種している人も多く、接種済みを証明する携帯電話のメッセージを見せてくれる人も数人いた。「日本は感染者がやっぱりまだ多いし、オミクロン株も増えているよ」と筆者が話すと、たいていの人は「ケニアにはもうコロナはないよ。」と答えるのだった。なかには「陽に当たって、ケニアの野菜をたくさん食べているから体が強いんだ。」と答える人もいた。人づてに聞いた話だと、コロナに感染して病院に行くと、医者から日光に当たってお湯をたくさん飲み、野菜を食べるよう言われたという。このような対処法を筆者はこれまで聞いたことがなかった。また、筆者は病を専門に調査しているわけではないが、これまでの調査で得た所感だと、地域の人びとの近代医療への信頼は厚く思える。たとえば風邪やマラリアにかかったとき、あるいはどこか具合が悪いとき、まずは病院に行くという人が筆者の周りでは多いし、実際、筆者本人が足を怪我したときや、身体中にひどい湿疹ができたときには通りで出会った人びとはすぐに病院に行って薬をもらうよう助言してくれた。この話を教えてくれた人も、胃が痛いときや、頭が痛いとき、すぐに病院に行って薬をもらってきていたし、この時も半ば笑い話として話していたので、本人も半信半疑だったのだろう。ただ、日光にあたるという対処法は、グシイではないナイロビのタクシー運転手からも聞いたので、ケニア国内である程度、広まっている対処法なのかもしれない。また、この話を違うグシイの人にしたところ、それはワクチンがなかったはじめのときに、医者が言ったのだろうと推測していた。
今回の制作地での滞在中、コロナの脅威に怯えて生活を送るという雰囲気はほとんど感じられなかった。筆者も時々マスクをするのを忘れて、それに気づいた人が「もうマスクはしないの?」とからかいながら教えてくれることもあった。誤解を避けるために加えると、地域の人びとはコロナの危険性についてニュースを通じて、また度重なるロックダウンなどの規制措置を経て身に染みてわかっている。都市部に近づけばマスクをはじめとした感染症対策は必須である。ナイロビ市民に話を聞くと、コロナは落ち着いてきているし、国内の経済はこれから回復していくだろうと期待している様子だった。いまだにコロナに完全には気が抜けない都市に対して都市から離れた制作地では、どこかコロナをもう終わったものや遠い世界の出来事として、あるいは恐ろしくないものとして認識しているように筆者には感じられた。彼らにとって深刻な問題は経済的な側面である。ケニア政府はコロナの影響を踏まえて2020年の4、5月のコロナが拡大し始めた時期から税法改正や若年層の雇用促進、現地企業の積極的な活用、社会保障の改善などの経済刺激策を講じてきた。9月には低所得者に対する源泉徴収税の免除(同年12月31日まで)や中小零細企業を対象に売上税の引き下げの継続も発表した。高齢者や障がいを持つ人、またはスラムのような非正規市街地に暮らす生活困窮者などの一部の人びとへの給付金の配布はなされているが、筆者が制作地で聞いた中では給付金を受けている人はいなかった。
筆者の所感では、都市部にせよ制作地にせよ人びとはコロナウイルスの感染の恐怖よりも収入面で苦境に喘いでいる。ソープストーン彫刻産業に従事する人びとは、注文が回復することを願いつつ、他の仕事で日銭を稼いで凌いでいる。今年の3月11日に政府は屋外のマスク着用義務や公共の場所での検温の廃止などを発表し、コロナ禍以降、最も緩和される方向で舵を切っている。ケニアの人びとは経済が回復することを期待していることだろう。
制作地のような状況は、世界中で起きていると考えられる。1つ1つの声に耳を傾けることが人類学にできることである。今後もソープストーン彫刻産業や制作地の人びとの状況に注目していきたい。


1 11月22日の政府発表では、ワクチン接種証明書の提示に加えて屋内集会の最大収容人数の制限も発表された。
2 2019年の国勢調査によると、グシイの人口は約270万人(Republic of Kenya, 2019b: 423)で、総人口約4756万人のケニアにおいて7番目に多いバントゥー系農牧民である。
3 2019年の国勢調査によると、8,419世帯・34,650人が暮らしている(Republic of Kenya, 2019a: 228)。
4 調査期間中の換算レートによると、100Ksh=101.81円である(「Kawase365.jpホームページ」ケニア-シリング/2021-11-22、最終閲覧日2022年3月5日、レートは調査時の2021年11月22日を参考に記載)。
5 グシイ地方ではキリスト教が広く信仰され、安息日に教会へ行く人が多い。コロナが拡大し、規制措置で集会が禁止されていた時期(2020年の3月に実施されて以降、強化と緩和を繰り返しており、緩和の時期であっても人数制限はしていた。ワクチン接種済みを条件に、参加者の人数制限が完全に撤廃されたのは2022年3月である)には各家庭で礼拝を行なっていたという。
6 レイラさんのように、制作地では彫刻師が店主に彫刻を売り、店主が研磨作業や装飾作業をそれぞれ作業者に依頼する場合が多い。
参考文献
Republic of Kenya 2021. Economic Survey 2021, Kenya National Bureau of Statistics.
Republic of Kenya 2019a. 2019 Kenya Population and Housing Census, Vol.Ⅱ, Kenya National Bureau of Statistics.
Republic of Kenya 2019b. 2019 Kenya Population and Housing Census, Vol. Ⅳ, Kenya National Bureau of Statistics.