話し手: 佐藤そのみ
聞き手・テキスト編集: 丹羽朋子

2024年12月7日より、佐藤そのみ監督が制作した二つの映画、「春をかさねて」と「あなたの瞳に話せたら」が劇場公開されている。
石巻出身の佐藤監督は14歳で経験した東日本大震災において、母校の大川小学校で妹を亡くし、その後映像作家となり、この経験をもとにフィクションやドキュメンタリーを制作してきた。幼い頃から抱いてきた「石巻を舞台に映画を作りたい」という思いを実現すべく、大学在学中の2019年に地元の人々の協力を得て制作された両作品は、草の根的に評判を呼び、各地で自主上映会が重ねられてきた。
フィクション作品「春をかさねて」は、震災遺構として整備される前の大川小学校の中で撮影されたもの。一方「あなたの瞳に話せたら」は、佐藤監督も含む大川小で家族や友人を亡くした当時の小中学生が、故人に向けた手紙を読む形式で作られたドキュメンタリー作品だ。二つの作品は、それぞれの形式をもって互いに補い合うような関係にある。
以下のインタビューは2023年5月21日に、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所基幹研究人類学主催〈人類学カフェ〉として開催された両作品の上映イベント、「ある春のための上映会―石巻から震災を描いて」のアフタートークの記録である。
今記事は、「春をかさねて」をめぐる「前編」と、「あなたの瞳に話せたら」を中心とする後編に分けてお届けしたい。

「春をかさねて」「あなたの瞳に話せたら」公式サイト
https://haruanata.com/

映画「春をかさねて」より©Sonomi Sato

【作品紹介】
「春をかさねて」(2019年/45分/劇映画)
「妹さんの安否を知ったときのこと、教えていただけますか」
14歳の祐未は、被災地を訪れるたくさんのマスコミからの取材に気丈に応じている。一方で、同じく妹を亡くした幼馴染・れいは、東京からやってきたボランティアの大学生へ恋心を抱き、メイクを始めた。ある放課後、祐未はそんな彼女への嫌悪感を吐露してしまう。
二人の女子中学生の繊細な心の揺れを瑞々しく描き出すフィクション。震災遺構として現在は立入禁止となっている大川小学校などで撮影された。
製作・監督・脚本・編集:佐藤そのみ
撮影:織田知樹、李秋実
出演:齋藤小枝、齋藤桂花、齋藤由佳里、芝原弘、秋山大地、安田弥央

「あなたの瞳に話せたら」(2019年/29分/ドキュメンタリー)
東日本大震災による津波で児童74名・教職員10名が犠牲に なった石巻市立大川小学校。大川小で友人や家族を亡くした 当時の子どもたちは、あれから何を感じ、どのように生きてき たのか。それぞれが故人に宛てた手紙を織り交ぜながら、自身 も遺族である「私」がカメラを持って向き合う。 震災から8年半、時間が変えたものと変わらないものを、素朴 でやわらかな文体で綴るドキュメンタリー。
日本大学芸術学部映画学科2019年度卒業制作
東京ドキュメンタリー映画祭2020 短編部門「準グランプリ」「観客賞」受賞作
イメージフォーラム・フェスティバル2020「ヤング・パースペクティヴ2020」入選作
監督・撮影・録音・編集:佐藤そのみ

「春をかさねて」が フィクション映画である理由

「春をかさねて」について伺います。両作品のパンフレット(2023年版)に再録された地元紙「河北新報」の記事の中で、そのみさんが「描かれるのではなく描きたかった」と話されているのが印象的でした。
自分が描きたいものを描く方法として、あえてフィクションを選んだのはなぜですか?

作中に主人公の家にたくさんの記者がいる場面がありますが、当時、私が学校から帰ると、ああいうことが毎日起こっていました。
大川地区は多くの家が津波で流されましたが、うちは妹は大川小で流されたけれど自宅は無事でした。だから、思いを打ち明ける場所がなかった遺族の方たちが毎晩のように、うちの親の元に集まって話し込んでいました。そのうち、遺族が集まっているらしいと聞きつけた記者たちも来るようになって、私自身も取材を受けるようになりました。だけど、2011年4月頃にはすでに「私のことは誰にもわかってもらえるはずがない」、「求められるがままにとりあえず答えて演じよう」と思っていたような気がします。震災以来、大学生まで取材を受けてきましたが、「妹を亡くした佐藤そのみさん」、「将来は映画を作りたいと思っている希望あふれる若者」というように、美しく切り取られることにずっと違和感を抱いていました。
自分が本当の想いを発信しようとしても、向こう側にとっての「きれいな形」に切り取られてしまう。いつまでもこのままだと、自分の一部の面だけが広まっていってしまうことに耐えられなかった。「春をかさねて」のシナリオは、そういう想いから生まれました。
フィクションにしたのは、自分自身が取材を受ける怖さを感じていたからです。地元の人たちも最初のうちは取材を受けていたけど、次第に苦しくなって「もうお断りします」というふうになる方も多かった。そういう人たちにカメラを向けたくないと考えました。もう一つの理由は、14歳の時に見ていた景色や思っていたことを表現するには、14歳の私はもういないから物語の中に作るしかないな、と。事実をそのまま描くよりも自分の入れたいシーン、自分の思う結末を見せる作品にしたかったので、最初から迷わずフィクションを選びました。

大川地区での撮影とキャスティング

映画「春をかさねて」より©Sonomi Sato

「春をかさねて」は、実際に石巻の大川地区で撮影されています。どのようにしてキャストを集めたのですか?

当時、大学3年生を終えたタイミングで休学して地元に帰ってこの映画の制作を始めたのですが、それまでは10分ほどの短編しか作ったことがなくて、大掛かりな撮影は初めてでした。

脚本は最初から当て書きなどせずに書きました。キャスティングの段階になって、主人公の祐未(ゆうみ)役は地元の石巻在住で、演劇活動をしている中学生の女の子にお願いしました。彼女は北海道生まれで、東北で地震は経験していませんが、震災後にお母さんがボランティアとして石巻に通うようになってそのまま親子で移住してきたそうです。彼女の実のお母さんが、祐未のお母さん役を演じてくれました。
幼なじみの友達、れいちゃんの役の方は演技は未経験でしたが、私が帰省した時に近所に素敵な子がいるなと思って声をかけて、脚本を渡して読んでもらってすぐOKをもらいました。

家の居間に遺族と記者が集まっているシーンに登場するキャストは、本当の大川小の遺族たちと、震災当時に大川に取材に来ていた記者さんに演じてもらいました。最初は石巻で演劇活動をしている同年代の男性にお願いしようとオファーしてみたのですが、特に(亡くなった)娘を見つけた時の状況を語る主人公のお父さん役は難しいと断られてしまって。
そこで、遺族のお父さんに声をかけたら引き受けてくださって、セリフもご自身で何パターンか考えてきてくれて、「ちょっと演じてみるから、どれがいいか選んでよ」って能動的に参加してくれて。役に本当に入り込んで当時を再現するっていうことを、すごくナチュラルにやってくれました。画面の中には、私が演出したわけではないのですが、泣いているお母さんも映っています。よくも悪くも、みんなが撮られること、自分に与えられた役割を全うして演じることに慣れているんですよね。
それでも撮影する前から、8年も経って再現するからには、何かしら歪なものが出てきてしまうんじゃないかとは思っていました。実際、作品の中であのときの空気そのものを出せているかどうかといえば出せていないとは思うのですが、これはこれで特別なシーンになったと感じています。

被災者の方を傷つけてしまう記者の役を、震災当時実際に携わっておられた方が演じられたことに驚きました。参加された記者さんからは、どんな感想がありましたか?

本当の記者たちを「記者」として撮るのは、主人公が取材を受けて苦しくなっていくという物語の性質上、申し訳なさがありました。でも、そんな私の気持ちをふき飛ばしてくれるぐらい、皆さんそれぞれに意義を見出して参加してくださいました。
撮影時は時間が短かったこともあり、特に感想などを話されていなかったですが、完成作品を観た後に「申し訳なかった。すごく反省した。でも、参加できて本当に良かった」と、言ってくださる方が多かったです。
私自身はマスメディア批判をしたかったわけではなくて、今となっては(遺族となった)お父さんお母さんたちも伝える場があったからこそ、ここまで生きてこられたと思うし、私もマスメディアの皆さんから沢山の良い影響を受けましたし、むしろこの作品を通じて記者の方にも感謝を伝えたいと考えています。

「春をかさねて」の制作を通じた気づきや変化

作品の制作過程で、新たな気づきや変化はありましたか?

シナリオを書くにあたり、記者さんの言葉遣いはすごく考えました。悪者だけにしたくなかったし、当時は何が正解かわからない中で、みんなが言葉を選び、自分の行動を選んで、その場に集まっていたと思うので。子供だった当時の私にはわからなかったけれど、こうして自身もまた撮る側になってみると、遺族に寄り添おうとされていた記者さんは大変な思いをされていたんだろうなと、制作する過程で気づいていきました。

あと、当初のシナリオには冒頭に遺体安置所のシーンなどを入れていたのですが、やはり撮れないな、と思って、ショッキングなシーンはむしろ描かずに想像させるよう、できるだけ感情的にならないように省いていく作業に多くの時間をかけました。

撮り終わってからは素材を直視できず、しばらく置いていた時期があったのですが、その後の編集作業でもたくさんのカットを省いていくことになりました。たとえば、終盤で主人公が大川小学校に行く場面では、撮影時は大川小の上からの全体像など、「大川小学校」だとわかる映像をおさえていたのですが、観る方々に自分の身近な場所に置き換えてもらえるようにするには大川小だけの話にしたくないと考え、編集でほぼ省きました。

映画「春をかさねて」より©Sonomi Sato

私は以前に大川小に伺ったことがありますが、この作品を観ながら、実際に大川小の中で撮られていると気づくのに少し時差がありました。

気づかれなくていいくらいに思っていたので、そう言っていただくと嬉しいです。
あと、編集作業の最後に、主人公が大川小学校に行く場面にセリフのない、画質の荒れた3、4カットの映像を付け足しました。泥で汚れた太鼓や津波を被ったトイレの水洗い場が写っているあの映像は、2014年頃に私が1人で大川小に入ってビデオカメラで撮ったものです。

それまでの映像とは異質な、視点が定まらない揺らいだ映像があそこに入ることで、虚実入り交じる感じや主人公の不安な気持ちが伝わってきました。

あの映像を撮りに行ったのは自分がすごく苦しいと感じていた時期で、当時の悩んでいた自分とこの映画の主人公の苦悩を重ねたいと思って付け足すことにしました。

後編=ドキュメンタリー映画「あなたの瞳に話せたら」に続く)