マンガの世界と音楽人たち

マンガが表現する世界には、しばしば音楽にたずさわる人たちが登場する。高校の軽音部で活躍したり、ジャズメンを目指して地方から上京したり、国際コンクールで優勝を果たしたり。音楽の世界を通して、マンガは多種多様な人間模様を表現する。マンガと音楽、その関係はどうやら親密なようだ。マンガにとって音楽は、いったいどんな存在なのだろうか?このエッセイでは、音楽マンガのブームとその歴史をたどりながら、実際に音楽に携わる音大生、マンガを描く美大生たちの声に耳をかたむけ、音楽マンガを深く理解するための視点を探ってみたい。

資料1「マンガを並べると幸せな気持ちになる」という、ある音楽マンガ愛好家の自宅にて。(筆者撮影)

ブーム到来:音楽マンガ、飛躍を遂げる?

「音楽マンガ」というジャンルには、これまで熱いまなざしが注がれてきた。明治大学にある現代マンガ図書館は、現在(2024年6月時点)、マンガと音楽の関係に注目した展示会「マンガに耳を澄まして-音楽マンガ展-[i]を開催している(資料2)。これは以前に同館でおこなわれた展示「音楽マンガの祭典-コマから聴こえるハーモニー-」[ii]を更新したもので、「あまたある音楽マンガより約130作を選び」抜いた展示だ。

資料2「マンガに耳を澄まして- 音楽マンガ展 -」会期 2024年3月1日- 6月17日.

また少し古い記事だが、2023年10月の日経新聞(NIKKEIプラス1)では、「のだめやピアノの森…読みたいクラシック音楽マンガ10選」というランキングが掲載された。ここでは一般に人気の高いポピュラー音楽ではなく、クラシック音楽に絞っている点も興味深い[iii]。「10選」を見てみると、普段マンガを読まない人でも「なんとなく内容が想像できる」「タイトルは聞いたことがある」といった作品が目につくだろうか(資料3)。

【専門家が選ぶクラシック音楽マンガ・ランキング】
1位 のだめカンタービレ
2位 ピアノの森
3位 マエストロ
4位 いつもポケットにショパン
5位 青のオーケストラ
6位 ルードヴィヒ・B
7位 神童
8位 四月は君の嘘
9位 プライド
9位 マドモアゼルモーツァルト

音楽マンガが注目される理由には、盛んに行なわれるメディアミックスの影響もあるだろう。たとえば音楽マンガの21世紀のヒット作たち、『のだめカンタービレ』(2001)、『マエストロ』(2003)、『けいおん!』(2007)、『坂道のアポロン』(2007)などは、アニメ化、ドラマや映画への実写化を果たしている。実写に関しては、鑑賞した人たちのなかは、原作がマンガとは知らなかったという人もいるだろう。だとしても、それは幅広い層に愛されるほどに音楽マンガブームが到来し、そして飛躍を遂げているということでもある。

古典作品たち:音楽マンガ、脈々と続く?

そもそも音楽マンガは、いつ頃はじまったのだろう?日本初のマンガ図書館を設立した故・内記稔夫氏によれば、音楽マンガの原点は、現代マンガのルーツといわれる赤本マンガにまでさかのぼる[iv]。初期のころは高名な音楽家のライフヒストリーを描く、いわば偉人伝の作風だった[v]。この風合いは、たしかに初期の音楽マンガを彩っている。たとえば手塚治虫の作品では、バーンスタインを主人公とした『雨のコンダクター』(1974)、ショパンを主人公とした『虹のプレリュード』(1975)、ベートーベンを主人公とした『ルードウィヒ・B』(1987)など、著名な音楽家たちが名を連ねている[vi]

いっぽうで、作曲家・少女マンガ研究家の青島広志は、月刊誌時代に描かれたバレエマンガに音楽マンガの原点を見ている[vii]。赤本・貸本マンガで活躍した高橋真琴の雑誌デビュー作『あらしをこえて』(1958)、橋田寿賀子の原作で高橋真琴が描いた『プチ・ラ』、牧美也子(松本零士氏のパートナーでもある)の『マキの口笛』(1960)といった古典たち[viii]には、たとえ描かれていなくとも、踊り手たちをつつみこむ音楽がつねにそこにあった。音楽そのものを描いたオリジナルストーリーが展開するのは、たとえばちばてつやの作品『ママのバイオリン』(1958)などだ。貧しい生活、母の死……、数々の悲劇を乗り越えてバイオリニストを目指す少女の物語が描かれる。

その後、日本のマンガ界を牽引してきた作家たちが、次々と音楽マンガを手がけていく。巨匠たちが過ごした伝説のアパート「トキワ荘」で紅一点だった水野英子[ix]は、少女マンガ誌「週刊マーガレット」にて、辺境の村で育ったうた好きな少女の物語を書き始めた。ただし舞台はロシア帝政時代。編集者には「(歴史ものなんて)ダメ!」と猛反対にあったが、「女の子が歌手を目指す話ですから」と押し切ったという[x]。そうして誕生した『白いトロイカ』(1964)は、少女マンガで初めて本格歴史ロマンを取り入れた金字塔的な作品となった。

つづく池田理代子『オルフェウスの窓』(1975)や竹宮惠子『変奏曲シリーズ』(1974)(原作:増山法恵)など、音楽マンガは、彼らの重要な作品として知られるものばかりだ。とくに少女マンガの場合、その歩みは音楽とともにあったと言っても過言ではないのかもしれない。音楽とマンガを通して、少女たちの憧れ、夢を追い求める姿、迫り来る困難、乗り越える感動、ロマンスの切なさ、他者への愛など、心を揺り動かす数々の物語が、時代の変化とともに表象される[xi]

こうしてみると、日本マンガの古典から現代に至るまで、音楽というテーマは深く入り込んでいることがわかるだろう。いわば「音楽マンガ」は一つのジャンルとして、不動の地位を獲得していると考えられる。

音楽人の声:音楽マンガ、リアルな世界?

では、音楽にたずさわる人たちにとっては、音楽マンガはどんな存在なのだろう? プロの演奏家や楽器の店員からは「スゴい!音楽マンガ」を積極的に評価する声が聞こえてくる[xii]。また、ある音楽大学の図書館には「音楽マンガコーナー」が常設されている。実際のところ、音楽マンガは彼らの音楽に、どんな影響を与えているのだろうか?ここで音大生33名を対象に実施した、小さなアンケートを参照してみたい[xiii]

はじめに「音楽マンガを読んだことがありますか?」と尋ねたところ、「ある」と答えたのは5割弱。ただし「ない」と答えた人たちも、うち約9割が「読んでみたい」と答えている。また「読んだことがある」人のうち、約6割が「音楽マンガに影響を受けた」と回答しており、音楽マンガに対する、一定の関心の高さや影響力がうかがえる。

「影響を受けた」点として、「音楽っていいなとあらためて思った」という人が約9割を超えた。さらに具体的には、音楽マンガをきっかけに音大を目指すようになった、音楽を学ぶにあたって勇気づけられた、音楽の知識が得られた、といった経験も得ているようだ。ある学生は、音楽マンガの面白いところは、「音楽をしている人しか分からない思い」が描かれている点、また、本番前の緊張感や音楽への感動といった「リアルさ」にあるという。こうした音楽マンガの表現力を活かして、もっといろんな楽器・いろんなジャンルの音楽を扱って欲しい、といった声もあがった。

アンケートの例はわずかに過ぎないものの、音大生たちは音楽マンガから、おおむねポジティブな影響を受けている印象だ。ただし音大生だからこそ、音楽マンガの気になる点もある。たとえば、演奏の場面で萎えてしまう、といった感想や、音楽の物語というより(登場人物たちの)成長の物語だから題材は音楽でなくても良い、という意見。あるいは、音楽自体は書かれていないから日常のシーンしか印象に残らない、といった指摘など。こうした声からは(物理的には)「音は聞こえない」音楽マンガのむずかしさも、同時に浮かび上がってくる。

さらに批判的な意見では、音楽マンガには現実味がない、夢に溢れていて自分とは違う、といった実際とのギャップも指摘され、音楽マンガが表現するリアリティのむずかしさも垣間みえてくる。

マンガ人の声:音楽マンガ、自由な世界?

では、音楽マンガの魅力とは、一体なんなのだろう?芸術を題材としたマンガ、たとえば「美術マンガ」と比べてみても、音楽を扱うマンガは圧倒的に多い印象を受ける(もちろん美術マンガにも、大ヒットした羽海野チカ『ハチミツとクローバー』(2006)や、連載中の山口つばさ『ブルーピリオド』(2017)といった重要な作品がある)。

ここで注目したいのは、マンガ家たちが「目にみえる」美術との組み合わせ(マンガ・視覚表現―美術・視覚表現)よりも、「目にみえない」音楽との組み合わせ(マンガ・視覚表現―音楽・聴覚表現)に、より積極的に取り組んでいるのかもしれないという点だ。こうした疑問を、美術部に所属していたという知人に投げかけてみると、こんな反応が返ってきた。

「音楽マンガっていっぱいあるけど、美術マンガって意外に少ないのかな?」
「ああ、自分がもしもマンガ家だったら、美術より音楽を描くね。」
「音楽マンガと美術マンガって、なにが違うかな?」
「美術マンガだと、作品を書き込まなきゃいけない。たとえば主人公が、みんな が『おお!というような素晴らしい作品を作ったとする。すると、その素晴らしい作品自体を、そこに(マンガに)描かなきゃいけない。それは大変!」

マンガを描いているという美大生にも尋ねてみると、こんな声が上がった。

「美術マンガだったら音楽マンガ(の方)を描いてみたい。」
「クラシック音楽マンガは描いてみたい。全然(クラシック音楽を)知らないし、大変そうだけど。だから余計にあこがれる。想像をいっぱい盛り込めそう。」
「音楽は視覚的な経験じゃないから。楽器を描いたり楽譜を描いたりするのは大変だけど、描くのは演奏者の内面とか、聴衆の感動とか。音楽自体じゃない。だからもっと自由に描ける気がする。」

音楽マンガに「自由さ」を思い描く姿に、さきほどの音大生の批判(音楽マンガは実際とは違う)が思い起こされる。音楽マンガは実際を表現するというよりも、むしろ独自の表現領域を持っている、ということなのだろうか?

聞こえないマンガ世界の音楽

あらためて考えてみると、音楽マンガはふしぎな存在だ。「聞こえないはずの音楽が2次元の紙の上で巧みに表現されている」[xiv]という言葉のとおり、音を音のないマンガで表現する。この意味でマンガにとっての音楽は、難点の多い題材でもある。先に触れた『変奏曲シリーズ』(1974)[xv]を描いた竹宮惠子氏は、その表現のむずかしさを次のように述べ、音楽マンガへの取り組みがどれほど果敢な挑戦なのかを示している。

「マンガには音がない。音がない故に映画に負けまいと頑張って、だれしも音の表現に苦労をしていました。それは音からオノマトペア(擬音語)に広がり、文章にも負けまいと努力しました。あのころはそういうマンガの広がりが目に見えた時代でしたね。」

だからこそマンガと音楽の組み合わせは、新しいなにかが表現できるのかもしれない。竹宮はつづけてこう述べる。

「音楽を伝える、というのは実はマンガで伝えるのとよく似ていると思います。奏でる側の努力や心情がまったく斟酌されずに「音楽」そのもの、「作品」そのもので受け取るところが。それはすべての芸術に通じるところでもあると思います。そういう共通項で音楽を眺めていたから、私には恐れがなかった。自分には語れない、知識のない音楽のことであっても、そこだけわかっていればいいと信じていましたね。」[xvi]

また『神童』(1997)や『マエストロ』(2003)といった音楽マンガ作品で知られるさそうあきら氏は、マンガで音が聞こえないことは武器であり、音の世界を新しい形で表現することを目指しているのだという[xvii]

マンガと音楽は、じつは相性が良い側面もある。それは(マンガ研究者たちがすでに提言してくれているように)最低限の要素といわれる「描線」と「コマ」[xviii]をつむいで流れを生み出すという、いわば表現の「連続」[xix]性だ。実際、ふたたび手塚治虫作品を取り上げてみれば、音楽マンガではない『リボンの騎士』では、コマ運びやセリフまわしに音楽性が感じられるという意見もある[xx]

こうした「マンガ的といえる視覚感覚」や「感覚体系」を体得しながら[xxi]「物語進行のある絵」[xxii]を経験する過程は、まるで音楽のようにもみえてくるだろう。だが当然、それらは音楽マンガ独自のものでもない。バラバラに置かれた手書き絵と印刷文字、コマで区切られた空間の謎、それらを統合する意識の流れ、コマとコマの余白の豊かさ、迫り来る絵と文字の脅威。登場人物たちの心の機微に触れながら、みえない事象(鳴らない音)に没入し、マンガに拘束される身体。

そして音楽に感動するシーンが、コマを超えて描かれるのはなぜだろう?聞こえないマンガ世界から音楽が聴こえるというのはなぜだろう?仲介する編集者たちとそれを形づくるマンガ家たちは、そこに同じ音楽を聴くのだろうか?マンガと音楽の「コマをつむぐ」だけではない親密な関係をさぐるには、音楽マンガに関わる人びとがどのような経験を与えられているのかに、もっと寄り添う必要があるだろう。

音楽はマンガを支え、マンガは音楽を支える。マンガにとって音楽は単なる素材などではなく、お互いの世界を広げてゆく関係のようだ。音楽マンガを理解するには、まだ発見されていない深いテーマが隠されているように思われる。

※ インタビューおよびアンケートにご協力くださった方々に心より感謝申し上げます。

 

<参考文献>
夏目房之介 1995『手塚治虫はどこにいる』筑摩書房.
丸山昭 1999『トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春』小学館.
西智子 2018「明治大学現代マンガ図書館における企画展の変遷」『明治大学図書館紀要』, 22, 127-135.
手塚治虫 2002『手塚治虫マンガ音楽館』筑摩書房.
青島広志 2006「少女音楽漫画抄史―昭和期の名作をたどって」『月刊ショパン』2006年3月号.44-45.
青柳晋、黒田亜樹、下田幸二、高橋多佳子、倉澤杏菜 2006「ピアニストが語る音楽マンガ」『月刊ショパン』2006年3月号. 59-60.
呉智英 1986『現代マンガの全体像』情報センター出版局.
増山法恵 2006「音楽マンガで描きたかった想い」『月刊ショパン』2006年3月号.46-48.
竹宮惠子 2006「マンガで音楽を描く大胆な試み」『月刊ショパン』2006年3月号.47.
鶴見俊輔 1984『戦後日本の大衆文化史 1945〜1980年』岩波書店.
米沢嘉博 1980『戦後少女マンガ史』筑摩書房.
マクラウド、スコット 1998『マンガによるマンガのためのマンガ理論』岡田斗司夫ほか訳、美術出版社.
グルンステン、ティエリ 2009『マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか』野田謙介訳、青土社.
三輪健太朗 2014『マンガと映画』NTT 出版.

<注>
[i]マンガに耳を澄まして-音楽マンガ展-」明治大学 現代マンガ図書館. (参照  2024年5月19日).
[ii]西 2018).(参照 2024年5月19日).
[iii]のだめやピアノの森…読みたいクラシック音楽マンガ10選」日本経済新聞 電子版(NIKKEIプラス1). 2023年10月21日. (参照2024年5月19日).
[iv]「音楽マンガの祭典 コマから聴こえるハーモニー展」展資料より. 現代マンガ図書館. 2008年10月.
[v] またこうした流れは、当時の芸術至上主義的な「芸術対マンガ」という対立のなかで、未だ低俗とみなされたマンガ(なかでもマンガファンの間でも軽蔑されていた(米沢 1980)という少女マンガ)に「芸術音楽」が積極的に取り込まれた動きとしても注目に値するだろう。
[vi] 音楽一家に生まれて自身もピアノ演奏を好んだという手塚の音楽観は、『手塚治虫マンガ音楽館』(手塚 2002). などで概観することができる。マンガ評論家の中野晴行氏による解説も必見。
[vii](青島 2006: 44-45).
[viii] たとえば2013年に京都国際マンガミュージアムで行われた展覧会「バレエ・マンガ ~永遠なる美しさ~」で並べられた作品たちを、音楽の視点から改めて見てみるのも興味深いだろう。(参照2024年5月19日).
[ix]豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」展示資料より. なお、トキワ荘をめぐる回顧録として描かれた書では(丸山 1999)では、水野が上京することになった経緯など、貴重なエピソードの数々を知ることができる。
[x][時代の証言者]I LOVE マンガ 水野英子 <22> 歴史ロマン 粘って実現」読売新聞オンライン. 2024年3月20日.(参照2024年5月19日).
[xi] 1960〜70年代に登場した女性マンガ家たちは、戦後日本の生活・精神史を描いた鶴見の論考でもすでに取り上げられ(鶴見  1984)、「24年組」とも呼ばれる女性マンガ家たちの重要性はこれまでも多く指摘されてきた(米沢 2007ほか)。近年のマンガ研究の進展を受けて、こうした女性マンガ家たちに加え、より広い範囲での女性マンガ家たち、あるいは男性マンガ家たち、現代のマンガ家たちなど、さまざまな視点から描かれ読まれる「音楽マンガ」に対する、さらなるアプローチを期待したい。
[xii]楽器店員が選ぶ『スゴい!音楽漫画』ランキング」島村楽器. 2022年9月1日.(参照2024年5月19日).  あるいは、ピアニストによる音楽マンガの紹介(青柳ほか2006: 59-60). など。
[xiii] 2024年4月16日、Google Formsを用いて対面にて実施したアンケート(対象者33名、回収率100%)の結果を参照。
[xiv] 注ⅲに同じ。
[xv] 原作の増山が述べた「『これは嘘でしょう』という絵であったら、読者の心を捕えることはできない。竹宮に『楽器を空で描ける』ほどたくさんの音楽漫画を描かせたのはほかならぬ私であることを白状する」(増山 2006: 46-48)といった内容からは、彼女たちがどれほど多くの音楽マンガに取り組んできたのかが窺い知れる。
[xvi](竹宮2006: 47).
[xvii]  「『マンガと音楽』講演会・研究会要旨」京都国際マンガミュージアム. 2007年5月27日.(参照2024年5月19日).「Marginal notes* インタヴュー さそうあきら」ショットシンク・ミュージック. 2013年10月18日.(参照2024年5月19日). など。
[xviii] (夏目 1995).
[xix](マクラウド 1998). この観点では、ベルクソンやドゥルーズのイメージ概念を参照した映画との比較研究(三輪 2014) などが興味深い。
[xx](青島 2006: 44-45).
[xxi] (夏目 1995).
[xxii](呉  1986).

田中理恵子(たなかりえこ)
研究者(文化人類学、音楽論)、プンムル奏者。
元ストリート・ミュージシャン、会社員を経て、東京大学総合文化研究科修了(博士(学術))。音楽・芸能・アート・言語を中心としたフィールドワークと社会実践にたずさわる。主な調査地域はキューバ、韓国、日本。多文化プロジェクトAJIA-CO代表。女子美術大学芸術学部准教授。主著に『生きている音楽:キューバ芸術音楽の民族誌』(2019)水声社. 共著に『嗜好品から見える社会』(2022)春風社.『サバイバルにっぽん!まいにちの日本語』(2024)朝日出版社. などがある。