掲載にあたって
本稿は、2021年の3月にコロナ禍とウクライナ侵攻に触発されてまとめたものである。2014年より、筆者は社会主義政権下に生まれた身体としてオートエスノグラフィー試行し続け、エッセイを中心にその成果を公開してきた。そして、東ヨーロッパで起きたこと、社会主義という病理による危機とイデオロギーのメカニズム、その身体への影響(例えば、人間不信になることなど)を伝えることは、研究の重要な一部となっている。それは、ルーマニアという旧ソ連の衛星国家に生まれた子供として記録する義務を負っていると思うからである。
旧ソ連時代について最初に浮かんでくる言葉は「自由」である。調べる自由、知る自由、といった権利も、ルーマニアでは1989年の革命で血を流したことによって得られた。独裁者のチャウシェスクが殺された人民裁判の映像はショーのように全世界のテレビに映っただろうが、全体主義国家で生まれ育つことについて、そこにいる人たちの暮らし、生き方、感じること、思うこと、夢を見ていることへの理解は及ばなかっただろう。個人的には革命の映像を見るたびに身体の奥から涙が溢れる。それは国民的なトラウマであり、現在まで影響を及ぼしている。
自由主義社会では、ウクライナで起きていることをテレビ報道やインターネットで知ることができる。一方、ロシアでは今もプロパガンダによる情報操作が行われているが、旧ソ連ですでに広く行われていたその手法を本稿では明らかにした。そうすることで、社会主義イデオロギーの中で育ったウラジミール・プーチンの行動が、ルーマニアのピテシュチ刑務所で行われた実験の拷問者と本質的に変わらないことが見えてくる。子供や女性の犠牲者を出すことや核の危機について何も感じてはいない。ロシアの独裁者は社会主義の再教育とシステムによって生まれたのである。
本稿が紹介するデータは日本語ではほぼ未公開のものである。当局と違う考え方をするだけで生きる自由を奪われる世界のリアリティをこの論文を通して届けたい。そしてそれは、突如出現した現象ではなく、半世紀以上の長い年月の間に東ヨーロッパで起きたことなのだ。2020年に公開された映画Uppercase Printでは、一人の男子高校生が「自由」という言葉を壁に落書したことをきっかけに、秘密警察による彼と彼の家族への抑圧が始まる。このように秘密警察の取り調べによって、子供、妊婦、障害者、誰もが「国家の敵」の疑いで刑務所に入れられ、殺害された。こうした一人一人の個人史は、今の世界の危機を物語っている。オーウェルの『動物農場』や『一九八四年』は、私たちにとってはリアルな世界だった。改めて、東ヨーロッパで起きていることを、「現代のオントロジー」として受け入れてほしいと願う。
Abstract
During 1945-1989, Romania was a totalitarian state under communism. The secret police, known as Securitate, jailed and tortured thousands for not having the same Marxism-Leninism ideology, categorizing them as state enemies. Among those tortured and killed were many women, sisters, mothers, wives, and children. This paper offers detailed accounts of Romanian gulag with focuses on the experiences of two imprisoned women: a nun and a writer. The crimes against humanity, lack of freedom of speech and thought, censorship of art, media, religion and poetry is unacceptable in today’s standard of the Free World. The purpose of this paper is, however, as Foucault projected, to rethink about neoliberalism and the present times through these tales.

要約
本論文では、社会主義政権下(1945年―1989年)のルーマニアで行われた反体制運動に注目し、1948年の政令(デクレ)第221号により設置された秘密警察(セクリターテ)による「国家の敵」への抑圧の実態について論じる。チャウシェスク政権下のような全体主義国家では、「抑圧」とは日常的な社会現象であって、だれしも(女性、子供であっても)政権批判の疑いがあれば秘密警察の徹底的な調査を受け、刑務所に送られることが常態であった。この社会現象について理解するために、社会主義政権下から革命を経た現在までの時間軸のなかで、フーコーをはじめとするポスト構造主義的な立場から抑圧のプロセスに中心的である、投獄に関わった身体とそのイメージ化について考察する。
フーコーの友人でもあったジャネット・コロンベルJeanette Colombelによれば、フーコー『監獄の誕生―監視と処罰』(Foucault 1975)は、冷戦時代のプラハで発禁書(samizdat)として密かに流出し読まれていた(Colombel 1994)。フーコーが実際にチェコスロバキアを訪れることはかなわなかったが、『狂気の歴史』においてフーコーが「近代の診断(ディアグノーシス)」の対象として扱った「処罰される身体」あるいは脱中心化された主体は、スターリン政権下で粛清され、西側の左派知識人に衝撃を与えた「グーラグの声を聴くこと(a l’ecoute du goulag)」から始まっていたのだという(Colombel 1994: 40)。
この論文の目的は、フーコーが予測したように、これらの物語を通して新自由主義と現在について再考することだ。

はじめに

第二次大戦後、国王の亡命によりソビエトの衛星国家となったルーマニアでは、主権国家としての主体性が脱中化されていた。マルクス・レーニン主義イデオロギーへの「再教育」(Stănescu 2010)(Merișca 1997)として、刑務所では激しい拷問が行われ、たくさんの命が失われていった。拷問は政治犯とされた男性にかぎらず、その身内や知り合いであった女性にまで及んでいた。このことを受けて、本論ではフーコーの『監獄の誕生』を参考として、女性政治犯として拷問を受けることとなった、マイカ・テオドシアMaica Teodosiaとアスパズィア・オツェル・ぺトレスクAspazia Oțel Petrescuによる語りを中心に取り上げる。当時の記録は、1999年に発足したThe National Council for the Study of Securitate Archives(CNSAS)が公開している秘密警察時代の内部文書にも克明に残されている。しかし、とくに中高年層のルーマニア人の場合、社会主義時代下のテレビ視聴を通じたプロパガンダの影響が今なお尾を引いている。このように、アーカイブを利用できる立場になったにもかかわらず、当時の出来事を直視し、客観的に把握することは、いまだに多くの市民にとって容易ではない。2020年ベルリン映画祭銀熊賞を受賞したルーマニア人監督ラドゥ・ジュデRadu JudeのUppercase Printでも巧みに表現されているように、メディアによる社会主義礼賛と実際の暮らしとの間にズレがあっても、一般市民の体制協力者が多数加担した相互監視社会においては、実は監視する側も市井の住民であったという事実が深刻な矛盾を生み出している。そして、テレビによるプロパガンダという支配装置は、不可逆的に身体への影響を及ぼしていた。したがって、監視される個人と独裁国家の対立は、Uppercase Printが示唆するように、文字、声、イメージ、音などによるコーラジュの時空間として人々の間に記憶され認識されることになる。
さらに本論では、インターネット上の政治犯とされた女性のインタビュー、レポルタージュ、ドキュメンタリー番組なども注目に値する。彼女らは、映像メディアに触発されながら、生々しく証言する。それらが喚起するイメージは、社会主義時代のメディアによるプロパガンダと真逆であることによって視聴者に衝撃を与える。そして、彼女らが残したイメージはいつでも直にアクセスして触れることによって、視聴者の身体を再構造化するはずである。実際に、1989年の革命以降に生を受けた若い世代は、処罰された身体との相互作用から、「本当のことを知りたい」身体を自ら再構造化して、新たな関係性を主体的に能動的に生み出していく。どのような歴史的証言にも製作者側の意図が存在するのは当然としても、処罰された本人の肉声だけが持つニュアンスとイメージと語られた言葉は、暴力と抑圧の生きられたリアリティーをイメージ化して再構築する。そして、この当事者性によって事実を再構築するプロセスは、民族誌的想像力と共通しているといえる。また、Google Arts and Cultureというサイトでは、チャウシェスク夫妻の公開裁判と処刑の映像をはじめとする1989年のルーマニア革命当時の記録映像を公開している。こうした映像は世界史における負の記憶遺産として貴重だが、そもそも大統領処刑の記録映像がなぜ必要だったのか、そして革命で亡くなった若い命と映像の力についても再検討する必要がある。社会主義時代における政治犯の身体について考え直すことは、記録映像などのイメージの背景について十分に理解することへの第一歩となる。
ウジェーヌ・イヨネスコの戯曲『禿の女歌手』(1950年)、『授業』(1951年)、『椅子』(1952年)のパリ公演は、1947年に亡命したルーマニア知識人の代表であったMonica Lovinescuの指導のもとで発表された。サルトルを代表するパリの左派知識人の雰囲気に対して、これらの「不条理演劇」は当時の世界の「近代のオントロジー」でもある。ソルジェニーツィンの『収容所群島』以来、旧ソ連における強制労働と拷問の実態については欧米で知られたが、こうした記録文章はフーコーの『監獄の誕生―監視と処罰』と同じように、歴史のオントロジーではなく「現代のオントロジー」(Colombel 1994:215)であると考えられる。
なお、監獄体験を語る女性の語りについて、本論ではその語りの重みに注目し、あえて理論的考察を加えることは抑えた。また、ルーマニア語とフランス語からの引用部分は、既出の日本語訳がないため、あらたに翻訳した。

1.ルーマニアの監獄

(1) 刑務所と政治犯

1945年以降、ルーマニア全土47ヶ所に刑務所が置かれ、そこでは反体制者や共産党のイデオロギーに合意しないとみなされた国民が収容されていた。刑務所の当初の目的は、大戦中ドイツに協力したIron Guardと呼ばれるファシストの収監であった。しかし、OS(Operational Serviceの略、のちにセクリターテの下部組織となった)は次第に一般市民にまで反体制者の疑いをかけて無差別に逮捕した。芸術家、修道僧、知識人、自作農に限らずi、学生、女性、未成年までもが刑務所に入れられ、「再教育」と称する拷問が行われた。刑務所の非人道的なふるまいは当時から国家の暗部として密かに伝聞され、1989年に起きたシャウシェスク政権打倒の一因となった。1945年から1989年までの44年間に収監された政治犯は60万人以上といわれ、数千人が暴力または物資の不足によって刑務所内で死亡した。生還できた市民も心身ともに深刻な後遺症を負った。事実、刑務所の目的は、市民に恐怖を植え付けることによって反体制運動の防御とすることであって、それには見せしめが必要だった。その見せしめを恒常的に確保するために、セクリターテは一般市民の中に情報提供者を多数抱えていた。インフォーマントの存在は極秘事項として扱われており、国民が互いの行動に猜疑心を抱かせることにより、刑務所のイデオロギーは日常生活にまで延長し、身体化されていた。革命後、セクリターテの手先であったことが隣人や親類に知られたり、またその逆が起こったりして、人間関係にしこりを残した例は枚挙にいとまがない。
Stănescuによれば、ソビエト流の再教育プログラムは、Anton Semioniovici Makarenkoによるモデルから作られた。政治犯は暴力とショックで処罰することにより、反抗する意思を失い、イデオロギーを訓化しやすくなる(Stănescu 2010)。ルーマニアにおける再教育プログラムは、ほかの社会主義国家と同じように宗教も対象としていた。社会主義政権下においてもルーマニア人の80%が帰属する東方正教が人々の行動様式に深く根を下ろしていたために、これを理由に政治犯として収監された市民も少なくなかったii。
2000年以降、社会主義時代の刑務所に関する研究が盛んとなり、生存者による語りも多数出版されるようになってきた(Fotache 2017)。しかし、この動きは他の東ヨーロッパの旧社会主義の国と比べてかなり遅い。2005年にチャウシェスク政権下の人道に対する罪を告発するIICCR (Institute for the Investigation of Communist Crimes and the Memory of the Romanian Exile)が活動し始めたものの、ようやく1名の元刑務官を起訴できたのは2016年になってからのことで、しかも本人はすでに90歳になっていた。1989年の革命から数えると27年もの歳月が経過していた(Gillet 2016)。2017年には、元刑務所を会場としたアート展が行われ、展示された拷問された人を表現する彫刻は、刑務所の恐ろしさを問いかけた(Mutler 2017)。先に述べたRadu Judeによる映画のように、こうした世界に向けられた様々なメディアを通して、社会主義時代のルーマニアで起きたことが、ようやく日の目を見ることになったのである。それでも、一般のルーマニア人にとっては、長年のプロパガンダと恐怖政治、革命後10年以上も続いた経済の混乱、秘密警察出身の政治家など既得権層による政権が続くなか、過去と向き合おうとする意識は未だ薄い。革命の直後から、刑務所経験のある語り部たちの本を読む国民は多かったが、2000年ごろまで公教育の場で若い世代に記憶を継承する取り組みは行われてこなかった。ルーマニア史の科目は、ローマ帝国時代から続く歴史の長さと複雑さによって、リセでバカロレアを受験する学生にとって記憶力が試される難問ぞろいである。しかし皮肉なことに、若年層にとって刑務所で起きたことは歴史の空白となったままであった。

(2)「ピテシュチ刑務所実験」

1949年から1951年にかけて、首都ブカレストから140㎞北西に位置するピテシュチPiteștiで行われた、「ピテシュチ刑務所実験」や「ピテシュチ現象」(Ierunca 1990)などと呼ばれる再教育プログラムは、拷問による暴力のもとに組織化されていた。ピテシュチ刑務所は都市部郊外に位置し、拷問に適した場所であった。そこでは激しい拷問の末、虚偽の自白が強要され、知り合いと家族に逮捕の連鎖が広がっていった。再教育には幾つかのステージがあった。第1のdemascarea externăでは、自身の周りにいる刑務所外の反体制者についての自白、第2のdemascarea internăでは、刑務所内で刑務官の悪口を言うなど収容者同士についての自白、第3のdemascarea morală publicăでは、他の囚人の前で自分の両親と家族についての批判、正教に対する冒とくなどを行う自己批判、最後は、共産党に対する忠誠心のあかしとして、ほかの囚人に対して率先して拷問を実践する。ピテシュチでは、この過程の中でリーダー格の囚人が現れ、その人物の命令によって囚人同士が拷問を行うシステムが生まれた。
これらのステージでは囚人の心身を破壊するために、殴打だけでなくさまざまな種類の拷問が行われた。ここで全て書くことはできないが、全身をタバコの火で焼き、火傷で皮膚を腐敗させる。腕を伸ばして立たせたままなどの同じ姿勢を長時間、時には何日も続ける。スプーンなしで熱い食事を与える。食事を与えず塩水だけを飲ませる。糞便を食べさせ吐瀉物や尿を飲ませる。受刑者にバケツで汚物を運ばせ、刑務官を正教の司祭に見立て、洗礼に模して囚人の頭を息ができなくなるまでバケツに押し込んだ(Roman 2019)。しかし、1952年、西ヨーロッパ諸国の新聞にピテシュチ刑務所実験が報道されると、国際的イメージの低下を恐れた政府は即刻実験を停止させた。ピテシュチ刑務所は閉鎖され、前述の相互監視実験の中心となった囚人は元大学生であったが、行き過ぎた残虐行為の責任を一身に取らされて死刑となった。

(2) 刑務所における対抗と信仰

ピテシュチに収監されていた政治犯は、ブカレストの南隣の町ジラヴァJilavaの刑務所に送られた。1959年、そこにニク・スタインハルトNicu Steinhardtというユダヤ系の知識人が収監される。社会主義政権下でのスタインハルトは極めて高名な作家であって、彼の著作を知らないルーマニア人はいないといっても過言ではない。それは、刑務所での生活と彼の正教への隠れ洗礼の物語が、共産党への対抗のシンボルになっていたからだ。スタインハルトは1958年に逮捕された当時、ルーマニア知識人の代表格で、哲学者・詩人・著述家でもあるコンスタンティン・ノイカConstantin Noicaの友人であった。ノイカは、1944年ベルリンでハイデガーの授業を聴講した。ファシストと政治的な関わりはなく、ルーマニア帰国後も文学活動に専心していたが、1958年に彼と周りの文化人はセクリターテに逮捕され、刑務所と強制労働所に送られる。1964年ノイカは出所し、山間地のパルティニシュPăltinișに隠遁して思索に没頭する。そして全体主義における不条理の文脈(Gabor 2019)に関する哲学を打ち立てた。彼を訪問する若い知識人が後を絶たなかったことから、彼の自宅は別名「パルティニシュ学校」とも呼ばれていた(Hasmaţuchi 2017)。
さて、ノイカの影響を受けたスタインハルトの抵抗の仕方は、宗教的なものである。実際に刑務所にはたくさんの宗教関係者が送られる中で、信仰は拷問と暴力への抵抗の力となっていた。彼らは神との出会いと祝福の可能性について語りあっていた。スタインハルトは、刑務官の目を逃れて、服役していた司祭から極秘裏に正教の洗礼を受けた。この体験はスタインハルトに深い啓示を与え、1970年に書かれた小説 Jurnalul fericirii(幸せの日記)として結実する。セクリターテは長い間この作品を発禁扱いにしていたが、samizdat の一書として流出し、実際には知識人だけでなく多くの人の手に渡っていた。パリに亡命していたモニカ・ロヴィネスクMonica Lovinescuとヴィジル・イェルンカVirgil Ieruncaの手元にコピーが届くと、その内容は1988年からRadio Free Europe(自由欧州放送、略称RFE)でも放送された。
RFE放送が東ヨーロッパにおける全体主義の終わりに果たした役割については本論の最後に再び触れることとして、西側世界のネットワークに並ぶもう一つの抵抗の様式が正教の存在である。ルーマニア正教においては聖人信仰が強い力を持っている(Grigore 2021)。スタインハルトのような進歩的知識人が刑務所内で密かに受洗し、聖人にちなんだ洗礼名Nicolaeを与えられ、しかも出所後は修道院での生活を選んだことは、ルーマニアにおける宗教の役割を考えると必ずしも不思議なことではない。
スタインハルトの心情をより深く理解するには、ルーマニアにおいて今もなお多くの信仰を集めているアルセニエ・ボカArsenie Bocaという修道僧・宗教画家について知ることが必要だろう。ボカは長年の間チャウシェスクの敵としてセクリターテの迫害を受け、最後はセクリターテによって殺害されたと考えられる。司祭の資格を剥奪された後でも、ボカはワラキアの寒村にある教会の壁面に宗教画を描き続けた。その独特の透明感あふれるタッチで描かれた神秘的な壁画は、1989年の革命やその後の物質文明の行き詰まり、アメリカ同時多発テロを予言したとも言われる。ボカは生きながらにして聖人として慕われ、現在ではその墓所は巡礼地となって、難病の治癒をはじめとする奇跡を起こす場所として信仰されている(Niculescu 2018)。2015年、ルーマニア正教会はボカを聖人として認める手続きを開始したが(Mutler 2015)、彼に対する聖人視こそが、フーコーがいう全体主義に対抗する「もう一つの力」であるといえる(Colombel 1994:37)。
ピテシュチ刑務所を生き残ったゲオルゲ・カルシウ司祭は、ピテシュチ刑務所での出来事は神と地獄の対立であると述べる。「良心と殉教は…、洗脳を浸透しにくくするが、理性や一般的な常識の範疇にもとどまらない。この体験をした人でさえすべてを理解しているわけでもない。なぜなら、その行いを成し遂げるためには、大きなシンパシーが必要だからである」(Roman 2019:68)。「ピテシュチでは、苦しみを乗り越えた被拘禁者たちは、絶望と自暴自棄の限界に直面した。彼らは、砕かれた肉と骨の山になるまで、いつも、毎日でも拷問を受けた。旧世代のルーマニアのエリートによる20世紀後半の恐ろしい運命は、投獄のはるか前にピテシュチでの実験を計画した共産主義者によって細心の注意を払って実行されたが、その結果は示されたのであった」(Roman 2019: 70)。

2.処罰される女性の「声」

フーコーが、性的マイノリティー、女性、社会に適用できない人々、精神病者といった「声のない」弱者の身体(あるいは魂と肉体)に焦点を当てたことは、いうまでもなく彼の仕事の重要な一面である。彼は、犯罪者も「痛みを伴う実体」(Foucault 1975:14)を持つことを明らかにし、そして死刑や拷問を認める法の人道的問いについて考察した。そして、ローマ帝国時代から近代にいたるまで、西洋的な法の在り方が「忌まわしい劇場」(Foucault 1975:15)であり、刑務所における法の「残忍な専制政治」(Foucault 1972」であると論じた。
本章では、全体主義国家における法と、体制に従わないか、もしくは従わないと疑われるような全体主義社会に適応しない身体、あるいは不条理な状態をについて、処罰されたルーマニア女性の例から考察する。彼女たちへのインタビューは刑務所での記録でもあり、文書では「聞こえない」ことを映像の中ではっきり聞こえるものに変容させる力を持っている。彼女たちの生の声は、その身体を映像の形で残すことによって、直接に抑圧のイメージを伝えているのである。

(3) マルクス・レーニン主義下のジェンダー

マルクス・レーニン主義では、ジェンダー間の平等とは、すなわち女性の身体に労働者としての意味合いを加えることに他ならない。言い換えれば、子供を産み、育て、家事を担う身体としての主体は、労働者として子供を産む数を制限され、家事に加えて工場という生産の現場における新たな搾取が加えられることになる。すなわち「平等」とは夢を見せるスローガンとして、しかし実際には叶うことのない夢を見続けさせる戦略として掲げられたものだった。
労働者としての女性のイメージは、例えば「女性に適用した」繊維工場や缶詰工場などの場として醸成される。このような男女参画のあり方については、社会主義時代のルーマニア女性の立場を細かく分析した研究が多く存在するが(Jinga 2015)、より詳細な分析のためには、女性と正教の繋がりにも着目する必要がある(Grigore 2021)。ここではこのことを踏まえて、障害者・詩人・修道女という多彩な側面を持つマイカ・テオドシアMaica Teodosia が刑務所内で体験した、処罰をめぐるライフヒストリーについて考察する。
彼女のように刑務所に送られた女性らは、そのほとんどが反体制活動にかかわったとされる男性受刑者の妻、母親、姉妹などであり、「国家の敵」として逮捕された者たちだった(Ursu 2017)。その実態の一部は次のように記されている。

ミスレアMislea、ミエルクレア=チウクMiercurea ‑ Ciuc、ドゥンブラヴェニDumbrăveniの刑務所は女性専用だったが、女性向けのセクション、つまり「政治的」な女性のセクションはアラドAradやオラデアOradeaにも存在していた。すべてのグーラグの患者と同様に、深刻な健康状態(結核)や出産前の女性は、ヴァカレシュチVăcărești病院刑務所に移送されることがあり、ジラヴァJilava、マルマイソンMalmaison、また内政部の地下室にも一時的に女性が収容されていた。厳しい拘禁状態に加えて、女性の大きな苦しみは、捜査官、将校、警備員の冷酷な虐待によるものでもあった。刑務所での女性の記憶は、レイプ、拷問、屈辱、または取り調べで殴打された結果、時にはせん妄、幻覚、狂気の結果として、胎児を失った妊婦の痛みを慎重かつ痛々しいほど思い出させる。生存者の証言も刑務所での出産を彷彿とさせる。ヴァカレシュチVăcăreștiでは、ヨアナ・ベリンデイIoana Berindeiが刑務官の直接監視の下で出産し、ユリアナ・プレドゥツIuliana Preduțの場合は、顔をシートで覆って屈辱を与えられ、イレアナ・サモイラIleana Samoilăは、警備員の前で困難な出産を経験した(医師が意図的に欠席のため)。人間性が麻痺する中では、被拘禁者はもはや出産した女性や母親ではなく、監視され罰せられなければならない盗賊なのだ(Ursu 2017)。

このように、刑務所では「出産した女性と母親」の人権までが奪われても、処罰は「正当化」(justifié)(Foucault 1972)されるべきものであった。

逮捕と有罪判決の理由は、本質的に、セクリターテメンバーのイデオロギー的ビジョン(盗賊、階級の敵、反革命者、帝国主義者として)を表現し、1948年から1959年の刑法の継続的な強化を通じて非常に明確になった。法律の特定の条項の改正により、抑圧的な機関が思うがまま逮捕し、有罪判決を下すための力が与えられた(より正確には、彼ら自身の思想的理由による)。人々は愛する人を裏切らなかったために逮捕される可能性があり(非難の省略)、親戚同士の出会いは危険な「社会秩序に対する陰謀」になる可能性があった(Ursu 2017)。

(2) マイカ・テオドシア

マイカ(ルーマニア語では修道院女をMaica、すなわち母親とも呼ぶ)テオドシアもまた、 セクリターテによって逮捕され、投獄された女性の一人である。

図1.Maica Teodosia Laţcu(本名はZorica Laţcu)
セクリターテのファイルでの写真(ACNSAS, fond Penal,
dosar 19595, vol. 8, 9, 12, 13) http://teodosialatcu.ro/

マイカは1936年から1940年の間、クルージュCluj の大学でギリシャ語、ラテン語、フランス語を専攻した後、1941年から同市にあったルーマニア言語学・文学史研究所の助教として7年間務める。1941年にルーマニアでもっとも著名な文学雑誌Gândireaに詩が掲載され、その詩人としての才能を文学者のニキフォール・クラニックNichifor Crainicに認められる。1944年に詩集Insula Albă(白い島)を出版した後、堰を切ったように『光のオサナ』(1948年)、『愛の歌』(1949年)という2冊の詩集を相次いで出版する。彼女の詩は正教に関連した作品が多いが、これはスンバタ・デ・ススSâmbăta de Sus修道院で受けた啓示による。1948年には、アルセニエ・ボカとの出会いによってヴラディミレシュチVladimireşti修道院に入った。
1950年、修道女としてテオドシアTeodosia という名を受け、1955年に修道院内で修道院長と他の修道院女とともにセクリターテに逮捕され、ガラーツィGalați刑務所に送られる。障害があったため質問に答えるのは難しく、刑罰にはさらに長い時間行われた。刑務所の劣悪な衛生環境のためリンパ節結核と腸炎を患い、1956年にヴァカレシュチVăcărești病院刑務所に移送、医師の診断によって介助が必要とされ、療養のため刑務所を一時退所、1957年には刑期満了を迎えて正式に退所した。以降1990年に死去するまでの間は、他の修道院女の助けを借りながら詩を書き、翻訳に携わりながら暮らした。彼女の人生は抵抗と神への愛のシンボルとして、刑務所の記憶に悩む女性らの力となった。
マイカ・テオドシアの詩的世界は、人と神の合一としての愛をテーマにしている。このため彼女の詩は長期間検閲を受け、一般の読者の目に触れることがなかった。また神秘的な愛の伝道者であったがために、彼女は国家の敵としてセクリターテによって逮捕された。これは、マルクス・レーニン主義者の支配的な性格をよく現している。テオドシアは修道院女としてだけでなく、女性、詩人、障害者としても人権と自由をルーマニア共産党によって奪われたが、こうした出来事はまさに彼女に対する人々の巨大な共感を引き起こした。

(3) アスパズィア・オツェル・ぺトレスク

1990年以降、セクリターテによって処罰された女性として最も知られるようになったのが、アスパズィア・オツェル・ぺトレスクAspazia Oțel Petrescu(1923-2018)である。彼女は14年もの間、ミエルクレア=チウク、ミスレア、ドゥンブラヴェニ、ジラヴァ、アラド、ボトシャニの各刑務所で過ごし、数多くの本、ドキュメンタリー、レポルタージュにおいて語り部として自分の経験と拷問について語っている。ぺトレスクは、1948年にクルージュ大学で言語と哲学を専攻する学生であった時、セクリターテに逮捕される。罪状は、親戚に反体制活動に関与した男性がいたことである。これに加えて、彼女は学生時代FORS(ルーマニア正教会学生同胞団)のメンバーであり、同門であるマイカ・テオドシアの取次でアルセニエ・ボカにも会っていた。FORSのミーティングは毎週土曜日に大学の大集会室で行われ、お互いに詩を発表していた。ある日彼女は「詩に現れるイエス」について発表したあと、テオドシアから新刊詩集をもらったが、中にはスズランの花が挟んであったという。それが二人の友情の始まりだった(Petrescu 2013)。ぺトレスクはテオドシアとの出会いについてこのように語っている。

アルセニエ・ボカから私たちは大事なことを学んだ。イエスの十字の重さを私たちも背負うことによって、苦しみは直接的に知につながる。私たちの周りにあったすべての惨めさは愛の機会でもあった。(Petrescu 2013)

ドキュメンタリー映画『アルセニエ・ボカと祝福の出会い』(2013年。原題O întâlnire binecuvântată cu părintele Arsenie Boca)で、ぺトレスクは1948年にマイカ・テオドシアとともに修道院にボカを訪れた時の出来事を回想している。当時、彼女は父親との喧嘩に悩み、司祭(正教の聖体礼儀ではイエスの血肉―聖なるワインに浸した聖なるパン―を食するまえに必ず告解をする。詳細は(Grigore 2021)を参照)を探していたが、友人であったテオドシアに遠く離れたスンバタ・デ・ススまで連れていかれた。そこの司祭であったボカは、神秘的な力をもっていると信者の間で信じられたこともあり、緊張していて喋れなくなっていた。だが、終始暖かく接する司祭の眼差しは、勇気と愛、純粋さ、聖性、優しさのモデルとして感動を引き起こした。
ぺトレスクは、翌年の春の復活祭に再びボカに会いに行った。ボカの聖体礼儀に参加する人々は皆涙を流すと有名だったが、彼女が初めて参加した時もその通りだった。彼の声は山地方のすすんだ春の空気と周りの大自然に響き、啓示を与えた。復活祭の前の木曜日の夜12時、司祭たちはイエス復活の日曜日までの最後の食事をする。彼女もテオドシアとともにその食事に誘われた。聖体礼儀の後、教会の暗闇の中からボカ司祭はロウソクを持ち、隣の建物にある食堂まで関係者を案内する。その夜は激しい春の嵐で、周りの木の枝が激しく揺れていたが、ボカが持っていたロウソクの火は奇跡のように消えなかった。部屋に着くと、司祭は「驚かないで。どうぞあなたもこのロウソクを持ってください」と言った。だが、自分が持つと火はすぐに消えてしまった。「光を持つことは簡単ではない」と彼は言った。
今でも思うことだが、アルセニエ・ボカの使う言葉は、「聞こえた」というより、「見えた」という印象がある。彼は言葉の裏にあるもう一つのリアリティーを使って、それをイメージとして現した。彼の言語は「イメージの言葉」であり、「見える」ことによって直接的に知につながる言葉であった。後日、自白剤を飲まされて拷問を受けた時のセクリターテの録音記録によると、彼の言葉はすべて祈りのみであった。それほど彼の潜在意識は祈りに満ちていたのだ。取り調べ官たちは、なぜこのような不思議なことが起こると聞いた時、彼は「祈る者は自由な者だ」と答えた(Petrescu 2013)。

図2 高校卒業のAspazia Oțel Petrescu
図3 Arsenie Boca司祭、セクリターテに長い間、拷問され、現代でも大勢の人々に聖人としてお祈りを捧げお墓に巡礼の場だ

ルポルタージュ『共産主義の刑務所の女性の告白者』(原題Femei mărturisitoare în temnițele comuniste – Aspazia Oțel Petrescu, Niculina Moica și Galina Răduleanu: Episodul 4)の中で、ぺトレスクが自身の刑務所での体験を語っている箇所を引用したい。

アルバ・ユリアAlba Iulia刑務所では突然殴られたが、何も喋ることがなかったので、私は「なぜ逮捕されたのか分からない」とだけ言った。二回目の事情聴取の時、私は抵抗できないことを理解した。足の裏を打たれたから。これは恐ろしかった。足の裏の衝撃は体全身で感じるから。刑務所から出た後、なぜ足の裏を打つのかが分かった。そこには器官の神経がたくさんあるから。足の裏に衝撃が与えられると、心臓、脳、肝臓に響く。拷問されていた反対運動のリーダーの部屋に連れて行かれ、知り合いかどうか確認させられたが、お互いに面識がなかった。それでも一晩中、同じ部屋に放置され、その男性から刑務所で生き延びるための最初のアドバイスをもらった。「彼らに殺されないように。彼らの言う通りにしなさい」と言って、部屋の床を見せてくれた。そこは血で赤く染まっていた。部屋の奥には薪があり、その鋭い側は血だらけだった。足の裏を打たれたあとで薪の上を歩かされた。人間ではなく、動物になるまで屈辱を与えられる。これが条件反射に基づくマカレンコ教育学による学術的拷問の方法だった。1日目ですでに、これから私が刑務所で経験することがイメージできた。限界まで我慢するつもりだが、我慢できない時は彼らの言う通りにすることを決めた。彼らは真実を知りたいわけではなく、私たちが彼らのイデオロギーを受け入れないことを知っている。これが本当の問題だった。彼らは台本を用意して、あなたは何かの罪を犯したのだと言う。私を含めて1948年に逮捕された若者たちは、彼らと違う原理をもっていたことが犯罪だったのだ(Petrescu 2017)。

同じレポルタージュの中で、ガリーナ・ラドゥレアヌGalina Răduleanuは、24歳の精神科医であったときからの7年間の刑務所体験を語る。彼女は司祭であった父親と兄弟に続いて逮捕された。

家族との連絡が禁止され、連日輸出品の籠を作らされていた。薬の服用は禁止されていたが、手紙を書く時は刑務所での生活を褒めなければならなかった。あるとき病気にかかった仲間が家に出した手紙にこう書いた。「幸せにしている、父と同じぐらい幸せだから安心して」と。その人の父親はずっと昔に死んでいた。

ニクリーナ・モイカNiculina Moica は、1959年に逮捕された時、まだ高校生だった。逮捕の理由は、高校の同級生や他の仲間で結成された反共産党組織Union of the Free Youthに入会したことだった。

 逮捕後、自分はどこにいるのか分からないまま、何日もの間、一人で置かれていた。恐怖にさらされて、何をされるかも分からないまま、自分の生死をだれも知らないまま、彼らはなんでもできるのだと感じた(Niculina Moica 2017)。

これまでの証言が暗示するように、彼女たちの名前が明らかであろうとなかろうと、処罰された女性たちのライフヒストリーは今もなお歴史の中に埋もれている。しかし様々な暴力的な力関係の中で、自らの体験を語ることに抵抗を感じる女性は決して少なくない。こうした女性から見える歴史の記録を無視できない以上、彼女らの証言は、書き起こされる言葉としてだけはなく、映像インタビューといったメディアを通して伝えられることの新たな可能性も探っていかなくてはならない。

3.結論にかえて―今、私たちとは何者なのか

1945年から1989年まで、ルーマニアで刊行された雑誌、新聞、テレビ番組、映画、芸術作品、学校教育、書籍は共産党の検閲にかけられていた。これまで説明したように、マルクス・レーニン主義的なイデオロギーに適応できない者に対しては処罰のメカニズムが作り出され、再教育のプログラムが実行された。その結果として、国家の敵とみなされて強制労働収容所と刑務所で命を無くす人が多数現れた。その傷跡は、ルーマニア社会にいまだに残っている。セクリターテのファイルによって捜査官の言う通りに書かれた言葉のみに歴史の再構築を頼るのではなく、これまで紹介した女性たちの証言のように、本人自身による「聞こえる」、「見える」アーカイブ・メディアの活用がより一層待たれている。マルチメディアによるアーカイブは、現代のルーマニアを生きる若者に歴史を理解する上でのヒントを与える。この主観性subjectivitéは、フーコーによる議論と同じ「不確実性の明快さ」lucidite d’incertitudeである(Colombel 1994:53)。これはすなわち、フーコーの主張した通り、「マルクスとフロイトの理論だけでは『権力と呼ぶ謎めいたものを知るのに十分ではないかもしれない」ということなのである(Foucault 1975)。
ラドゥ・ジュデ監督のUppercase Print (2020)は、ドキュメンタリー、アーカイブ映像、俳優による実際のセクリターテ・ファイルによる関係者の証言の朗読をコーラジュしたものだ。作品の中では、長い間プロパガンダの手段として使われた国立放送のテレビ映像と、セクリターテに逮捕された、ある地方都市の母子家庭で暮らしていた15歳の高校生の語りが並置される。RFE放送のラジオ番組を隠れて聞いていたムグール・カリネスクMugur Calinescuは、1981年、市街地の塀に共産党反対のメッセージを書き続け、この容疑によってセクリターテに逮捕された。映画では、肉親や友人など関係者の証言の再現とともに、実際にセクリターテが盗聴した、彼と母親や父親との会話がそのまま使われている。カリネスク少年は1983年に白血病で死去するが、母親はセクリターテの尋問中に飲まされたコーヒーの中に、放射性同位元素が入っていたのだと語る。現在公開されているセクリターテのファイルの中には、彼らがストライキ中の鉱山労働者に対して、意図的にガンを発症させる工作を行っていたことも明るみになっている。
カリネスク少年の物語は、アーカイブ映像、実際のセクリターテのファイル、実際の彼の言葉、これらを継ぎ合わせた一編の映画にまとめることによって、様々な問題を問いかけながら、見る者の感情移入を促す。その結果、支配のメカニズムがどれほど戦略を重ねようとも、人間の身体を完全に支配することはできないのだということが、語りの端々から浮かび上がってくる。例えばカリネスク少年の語りには、ルーマニアがテレビ映像のプロパガンダで埋め尽くされた時期ですら、共産党が完全に遮断することができなかったもの、すなわちラジオの電波から聞こえる音のイメージが彼の身体に入っていたことが示されていた。
コロンベルはフーコーの著作の解説のなかで、近代のオントロジーについて考察し続けたフーコーの教えは近代を問い続けることだったのだという。「ヒロサヒマ、アウシュヴィッツ、グーラグの後、多くの損耗と多くの虐殺の後、多くの幻想が失われた。私たちは今、一体何者なのだろうか?」(Colombel 1994:213)。

参考文献
Applebaum, Anne 2003. Gulag: A History, Doubleday
Cioroianu, Adrian 2005. Pe umerii lui Marx. O introducere în istoria comunismului românesc, Editura Curtea Veche
Ciobanu, Monica 2018. Piteşti: a project in reeducation and its post-1989 interpretation in Romania, Nationalities Papers, Cambridge University Press
Colombel, Jeannette 1994. Michel Foucault : la clarté de la mort, Editions Odile Jacob
Courtois, Stephen(ed) 1999. The Black Book of Communism Crimes, Terror, Repression. Cambridge, MA: Harvard University Press
Deletant Dennis 2019. Romania under Communism:Paradox and Degeneration, Rutledge
Gabor, Octavian 2019. Taming the Beast: Constantin Noica and Doing Philosophy in Critical Political Contexts, Diálogos, Revista de Filosofía de la Universidad de Puerto Rico, Año L, Núm. 104, 2019, pp. 9-20
Grigore Irina 2021. 現代ルーマニアの聖人信仰と福祉―聖パラスケヴァと女性―弘前学院大学大学院社会福祉学研究科、社会福祉学研究第9号139-159
Hasmaţuchi, Gabriel 2017 CONSTANTIN NOICA AND THE LESSON OF “SUBDUING” HISTORY THROUGH CULTURE, Conference: Symbolon 13 – Constantin Noica – un modèle culturel? At: Centre « Mircea Eliade » et Université Lyon 3, Ionel BUSE et Jean-Jacques WUNENBURGER (sous la direction).Volume: 13
Fotache Oana 2017. Narrating the Communist Prison: An Interpretive Model of Some Romanian Case Studies
http://www.minorliteratures.org/wp-content/uploads/2017/05/Dubalaru_Oana_Narrating-the-Prison.pdf
Foucault, Michel 1975. Surveiller et punir Naissance de la prison, Gallimard
Foucault, Michel 1972. “Les intellectuels et le pouvoir”, Michel Foucault L’Arc, no 49 : Gilles Deleuze, 2e trimestre 1972, pp. 3-10 in M. Foucault, Dits & Écrits, II, n° 106, p. 307, 1972
Ierunca,Virgil 1990. Fenomenul Pitești, Editura Humanitas,
Pailhès Anne-Marie 2004. Mémoires du goulag Déportés politiques européens en URSS Paris, le Manuscrit
https://halshs.archives-ouvertes.fr/halshs-01465821/document
Ioanid, Ioan 1999. Închisoarea noastră cea de toate zilele, volumul 1. 1949, 1952 – 1954, Editura Humanitas, București
Jinga, Luciana M. 2015. Gen și reprezentare în România comunistă: 1944-1989, Editura Polirom
Merișca, Costin 1997. Tragedia Pitești.O cronică a „reeducării” din închisorile comuniste, Editura Institutul European Iași
Măgirescu, Eugen 1994. Moara Dracilor: Amintiri din închisoarea Pitești, Editura Fronde, Alba Iulia – Paris
Petrescu, O. Aspazia 2014. With Christ in Prison, Reflection Publishing
Niculescu Tatiana 2018. Ei mă consideră făcător de minuni: Viața lui Arsenie Boca. Humanitas
Roman, Roxana 2019. Literaturizarea detenției comuniste: Jurnalul Fericirii și Fenomenul Pitești, Corso di Laurea magistrale in Scienze del Linguaggio Classe LM-39 Tesi di Laurea, Anno Accademico 2018 / 2019, Università Ca ‘Foscari di Venezia
http://dspace.unive.it/bitstream/handle/10579/15441/853522-1231996.pdf?sequence=2
Răduleanu,Galina 2017. Repetiție la moarte, Editura Manuscris,
Solzhenitsyn, Aleksandr 2018. The Gulag Archipelago: Abridged edition, Vintage Classics
Steinhardt N. 1991.Jurnalul fericirii Cluj: Dacia
Stănescu, Mircea 2010. Reeducarea în România comunistă, Vol. I-III, Editura Polirom, Iași新聞記事
Bradshaw, Peter 2021. Uppercase Print review – a fierce denunciation of Ceaușescu’s Romania, The Guardian
https://www.theguardian.com/film/2021/feb/15/uppercase-print-review-nicolae-ceausescu-romania-1980s-mugur-calinescu-radu-jude
Brodner, Raluca 2017. „De sufletul maicii Teodosia nu s-au putut atinge călăii”in Mironosiţele Domnului din închisorilor comuniste, omagiate în ziarul Lumina, de la Doamnele Aspazia Petrescu şi Măriuca Vulcănescu la Maica Teodosia şi Elisabeta Rizea
Danalache, Teodor 2018. Aspazia Otel Petrescu in Crestin Ortodox https://www.crestinortodox.ro/parinti/aspazia-otel-petrescu-126881.html
Ursu, Ioana 2017. Femei din închisorile comuniste in
Mironosiţele Domnului din închisorilor comuniste, omagiate în ziarul Lumina, de la Doamnele Aspazia Petrescu şi Măriuca Vulcănescu la Maica Teodosia şi Elisabeta Rizea
https://www.marturisitorii.ro/2017/04/30/mironositele-domnului-din-inchisorilor-comuniste-omagiate-ziarul-lumina-de-la-doamnele-aspazia-petrescu-si-mariuca-vulcanescu-la-maica-teodosia-si-elisabeta-rizea/
Mutler, Alison 2015. Romanian church considers popular monk for sainthood, in Chicago Tribune
https://www.chicagotribune.com/sns-bc-rel–romania-popular-priest-20151001-story.html
Multler, Alison 2017. Romania: Art exhibit at ex-prison show horrors of communism
https://apnews.com/article/ee8bc2b4cd074ce5a20489215e370d78
Mutler, Alison 2020. Buried In A Casino Wall, A Dark Secret From Romania’s Communist Past, Radio Free Europe Radio Liberty https://www.rferl.org/a/secret-political-prisoners-note-buried-in-casino-wall-revives-dark-memories-of-romania-s-communist-era/30773148.html
Gillet, Kit 2020. Brutal Romanian Prison Warden, 90, Loses Appeal of 20-Year Sentence, New York Times
https://www.nytimes.com/2016/02/11/world/europe/romania-communist-prison-warden.html

映像文献
Aspazia Otel Petrescu 2013 in O întâlnire binecuvântată cu părintele Arsenie Boca

Aspazia Otel Petrescu 2017 in Femei mărturisitoare în temnițele comuniste – Aspazia Oțel Petrescu, Niculina Moica și Galina Răduleanu. Episodul 4
https://www.facebook.com/trinitastv/videos/vb.385214248329911/701788596672473/?type=2&theater
Niculina Moica 2017 in Femei mărturisitoare în temnițele comuniste – Aspazia Oțel Petrescu, Niculina Moica și Galina Răduleanu. Episodul 4
Radu Jude(dir.) 2020. Uppercase Print Tipografic Majuscul
https://mubi.com/films/uppercase-print

i.集団営農(colectivizare)反対したとの罪状で約8万人が刑務所に送られた(Roman 2019)。
ii.1959年、ルーマニア共産党政権は政令(デクレ)第410号を発令し、反体制勢力を抑制するために修道院を閉鎖するよう命じた。共産党は、反政府活動家が修道院に潜伏していると想像したのであった。以降何十年にわたる公安警察(セクリターテ)による弾圧により、多くの司祭、知識人とその家族が何ら理由もなく刑務所に入れられ、拷問によって殺害された。(Grigore 2021)