大津留香織(おおつるかおり)
人類学者、漫画家、イラストレーター。
台南応用科技大学助理教授。博士(学術)。バヌアツ共和国にてフィールドワーク調査、法と人類学の葛藤解決研究に共感と物語の研究を取り入れる。近年は漫画表現を中心としたメディア研究に取り組む。研究のかたわら創作活動を続ける。主著に『関係修復の人類学』(2020)、『人権漫画の描き方』(2024)。
vol.002「マンガにかかわる」を再考する
「マンガにかかわる」を再考する
大津留香織
このたび、ウェブマガジン “-oid” の特集テーマを「マンガ」とし、関係する人々のインタビューやレポート記事、評論などをお届けすることになった。サブカルチャーであったマンガはアニメを通して世界に輸出され、今や日本の最も重要な文化産業であると捉えて差し支えない。いまだにハイカルチャーではないと把握されながら、大学における関連学科の設置、行政とのコラボレーション、専門博物館の開館など、マンガに関する動きは衰えることがないどころか、その社会や経済に対する影響は増すばかりである。
翻って、これらの活動が「おもしろいマンガ」を生み出すための影響力を持つのかについて、筆者は多少懐疑的である。上記の活動は、産業を活性化したりマンガ作品自体の保存を促進するかもしれないが、それらによって魅力ある作品ができるかどうかは別の話なのである。たとえば関連の博物館や大学を作ることによって、これからの漫画家たちの育成につながる、というような論は、簡単に覆すことができる。というのも、これまで世界を席巻した数々の作品は、上記のような施設がない中で生まれたのであるから、大学や博物館の設置と「優れた作家の育成」には、因果関係を確立することが本来難しいはずだ。それよりも、手塚治虫にならって世界名作童話を片っ端から読ませたり、藤子A/F不二雄にならって365日映画館に通える無料チケットを配ったり、松本零士にならって貧乏暮らしの中でミカン箱を机にさせたりした方が、作家の良い成長につながるという可能性も捨てきれないではないか。
もちろん筆者は、上記のような社会的な動きと素晴らしいマンガ作品の誕生が、まったく無関係であると思っているわけではない。特に、いつでも気軽に漫画や小説が読める施設は、マンガに出会い表現を蓄積するために小さくない影響があると予想している。しかし、たとえば小説ならば、大学や博物館の有無と関係なく、世界中で優れた作品が生み出され続けていることとおもうと、特に物語制作と社会インフラは、ほとんど関係がないような気がしてくる。
このような疑問が解決してないのは、そもそも優れたマンガ作品がどのように生まれるのか明らかにされていない(あるいは興味が持たれてない)という点にある。にもかかわらず、施設を作ることや企画をおこなうことが優先されている現状がある。マンガを描くのはある個人や集団であり、マンガイベントそのものが新しい作品を生み出すわけではないはずだ。この乖離は、マンガの内容自体や、マンガを描く、マンガを売る人、展示する人、といったそこに関わる当事者が、どのような存在なのか興味が持たれなかったことと関連している。
マンガ・アニメは一大産業であるが、物語の内容自体に興味を持つことは「オタク的」であり、数字にのみ注目することがスマートであるかのような“空気を感じる”ことが多々ある。もしピケティの展示ならば、美術館関係者がピケティに詳しいことは賞賛されることであるが、マンガに関しては「私は作品は全部読んでないんですがね」と未読であることのほうが社会人としてスマートであるかのような振る舞いに捉えられることがある。すなわちこれこそマンガ・アニメがサブカルチャーであるとされる所以であろう。「マンガは数字を持っている」ことは確かだが、一方でその数字への期待がひとり歩きし、創作の場を置き去りにしてはいないだろうか。
このことについて掘り下げるために、以下では台灣の国家漫画博物館(國家漫畫博物館)のオープニング記念式典のレポートを書いてみたいとおもう。これによって、行政がマンガを扱っている現場についてのひとつの事例として「展示すること」を考えてみたい。
vol.001コロナ禍と協働的なアートのゆくえ
画像提供:The Archive of Public Protests, Digital Photo, 2020. Courtesy of Artists.登 久希子
2020年の年明けから徐々にくすぶりはじめた「コロナ禍」は春先までにはあっという間に世界中を混乱に陥れ、それぞれの日常的な計画や普段の生活を激変させてしまった。コロナ禍は終わったわけではなく、まだまだ今後を模索していく段階にある。だが、つくり手、鑑賞者、研究者を含めたアートの現場に関わる人たちの、およそ2年における経験をここで一度まとめて聞き、読み、考えてみることは今後の模索のプロセスのためにも重要だと思う。この特集では「協働」や「参加」が重要な意味をもつ作品やプロジェクトと関わりのあるアーティストや関係者が、コロナ禍をいかに生きてきたのか、コロナ禍を経て彼/彼女らの制作や世界の見方がどのように変化しているのか、その一端をインタヴューや寄稿を通して明らかにし、これからのアートをいかに語る/みる(*1)/研究していくのかについて考えていきたい。人やものとの物理的な接触を最小限に抑えることが推奨され、さまざまな実践がオンラインへと移行したなかで、他者との直接的で協働的な関わりを重要視してきたアートに、またそのようなアートとの関わり方に、コロナ禍はどのような影響や変化をもたらしたのだろうか。あるいは変わらなかったことは何なのだろうか。そんな問いに対する考察を深めるためにも、ここで書かれたり語られたりすることは多くの示唆を与えてくれるだろう。
目次
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街に出よ
──芸能愛好者の語りと地域実践の手ざわり -
《The Dawn of Cuban Art Music》
Writing Music History: Listening at the Boundary -
すでにある変化と未来の美術館
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モーガン・オハラにきくパンデミック禍における制作
Morgan O’Hara talks about her works during the pandemic -
ニューヨークでパフォーマンス・アートを手がけてきたチンチー・ヤンにきく
―コロナ禍における活動
Interview with Chin Chih Yang -
人類学者ロジャー・サンシにきく
―アートと人類学の未来
Roger Sansi Talks about Art and Anthropology -
ワルシャワ近代美術館キュレーター マグダレナ・リプスカにきく
―人工妊娠中絶禁止に対する抗議運動と展覧会 《涙の歴史を書くのは誰か》 -
新型コロナウイルスの世界的流行と
アーティスト・イン・レジデンス
―アーカスプロジェクトの2年を振り返って -
ウェルカム・トラストのダニエラ・オルセンにきく
医学系財団におけるアートの取り組み
Danielle Olsen talks about the art practices at Wellcome Trust -
ケニア西部ソープストーン彫刻の制作地の現在
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独立型コマーシャル・ギャラリーからかたち創るアートシーン
Satoko Oe Contemporary 大柄聡子さん -
芸術社会学者の吉澤弥生さんにきく
―コロナ禍と芸術文化関係者の苦境 -
学び合いの場づくりの広がり
―コロナ禍の変化から
堀内奈穂子さん (NPO 法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT エイト]キュレーター) -
社会主義政権下における投獄された女性の身体
The corporeality of the women imprisoned under Romania socialist regime
vol.000CONTENTS
目次
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寄付と倫理とレピュテーション・ロンダリング
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Research with Body and Senses: Arts-based Research and Research-based Art (Part 1)
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Research with Body and Senses: Arts-based Research and Research-based Art(Part 2)
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佐藤そのみ監督にきく、大川小学校事故をめぐる二つの作品の制作プロセス
ーフィクションとドキュメンタリーの表現をめぐって(前編) -
佐藤そのみ監督にきく、大川小学校事故をめぐる二つの作品の制作プロセス
ーフィクションとドキュメンタリーの表現をめぐって(後編) -
佐藤そのみ監督「春をかさねて」「あなたの瞳に話せたら」を観た大学生の対話
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「ミュージアムをつくろう! 多文化共生をめざす川崎歴史ミュージアム スタートアップ集会」 評
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あちらこちらでひとっぷろ!音を浴びる: <あちらこちら in 銭湯>
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「聴きながら観る」展覧会ーー〈雑談『広告』〉展評
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プロダクトデザインとしての装丁:雑誌『広告』特集「文化」
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ドキュメンタリー映画がつくる「楽しい劇場型政治」ーー『劇場版 センキョナンデス』(監督:ダースレイダー プチ鹿島)
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【配信アーカイヴ】創刊記念イベント!〈Call and Response ウェブマガジン《-oid》オイド から考える〉
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マッセキ!08
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Homō loquēns「しゃべるヒト」ことばの不思議を科学する/山城大督《Spatial Tone》評@国立民族学博物館
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長崎平和集会 – ATOMIC MESSAGE
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マッセキ!07
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マッセキ!06
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マッセキ!05
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マッセキ!04
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マッセキ!03
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マッセキ!01
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マッセキ!02
最新号「マンガにかかわる」を再考する
イラスト大津留香織
このたび、ウェブマガジン “-oid” の特集テーマを「マンガ」とし、関係する人々のインタビューやレポート記事、評論などをお届けすることになった。サブカルチャーであったマンガはアニメを通して世界に輸出され、今や日本の最も重要な文化産業であると捉えて差し支えない。いまだにハイカルチャーではないと把握されながら、大学における関連学科の設置、行政とのコラボレーション、専門博物館の開館など、マンガに関する動きは衰えることがないどころか、その社会や経済に対する影響は増すばかりである。
翻って、これらの活動が「おもしろいマンガ」を生み出すための影響力を持つのかについて、筆者は多少懐疑的である。上記の活動は、産業を活性化したりマンガ作品自体の保存を促進するかもしれないが、それらによって魅力ある作品ができるかどうかは別の話なのである。たとえば関連の博物館や大学を作ることによって、これからの漫画家たちの育成につながる、というような論は、簡単に覆すことができる。というのも、これまで世界を席巻した数々の作品は、上記のような施設がない中で生まれたのであるから、大学や博物館の設置と「優れた作家の育成」には、因果関係を確立することが本来難しいはずだ。それよりも、手塚治虫にならって世界名作童話を片っ端から読ませたり、藤子A/F不二雄にならって365日映画館に通える無料チケットを配ったり、松本零士にならって貧乏暮らしの中でミカン箱を机にさせたりした方が、作家の良い成長につながるという可能性も捨てきれないではないか。
もちろん筆者は、上記のような社会的な動きと素晴らしいマンガ作品の誕生が、まったく無関係であると思っているわけではない。特に、いつでも気軽に漫画や小説が読める施設は、マンガに出会い表現を蓄積するために小さくない影響があると予想している。しかし、たとえば小説ならば、大学や博物館の有無と関係なく、世界中で優れた作品が生み出され続けていることとおもうと、特に物語制作と社会インフラは、ほとんど関係がないような気がしてくる。
このような疑問が解決してないのは、そもそも優れたマンガ作品がどのように生まれるのか明らかにされていない(あるいは興味が持たれてない)という点にある。にもかかわらず、施設を作ることや企画をおこなうことが優先されている現状がある。マンガを描くのはある個人や集団であり、マンガイベントそのものが新しい作品を生み出すわけではないはずだ。この乖離は、マンガの内容自体や、マンガを描く、マンガを売る人、展示する人、といったそこに関わる当事者が、どのような存在なのか興味が持たれなかったことと関連している。
マンガ・アニメは一大産業であるが、物語の内容自体に興味を持つことは「オタク的」であり、数字にのみ注目することがスマートであるかのような“空気を感じる”ことが多々ある。もしピケティの展示ならば、美術館関係者がピケティに詳しいことは賞賛されることであるが、マンガに関しては「私は作品は全部読んでないんですがね」と未読であることのほうが社会人としてスマートであるかのような振る舞いに捉えられることがある。すなわちこれこそマンガ・アニメがサブカルチャーであるとされる所以であろう。「マンガは数字を持っている」ことは確かだが、一方でその数字への期待がひとり歩きし、創作の場を置き去りにしてはいないだろうか。
このことについて掘り下げるために、以下では台灣の国家漫画博物館(國家漫畫博物館)のオープニング記念式典のレポートを書いてみたいとおもう。これによって、行政がマンガを扱っている現場についてのひとつの事例として「展示すること」を考えてみたい。